メイズルス兄弟のドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』に、ジェリーという名前の青年が登場する。
リトル・イーディからマーブル・フォーンと呼ばれるカーリーヘアーの青年だ。
そのニックネームは、「緋文字」(The Scarlet Letter)で有名なアメリカの小説家ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)の「大理石の牧神」(The Marble Faun)から取られた。
大理石の牧神のような美しい容姿を持ち、牧神のように明るくて純真だった青年ドナテロが、年上の女性ミリアムに出会い、彼女のために殺人の罪を犯して堕落するというゴシックロマン小説。

リトル・イーディが自分をミリアムに、ジェリーをドナテロに見立てていたのかどうかは定かではないが、ドキュメンタリー映画に登場するジェリーはカーリーヘアと端正な顔立ちが確かに大理石の牧神に似ていて、そのニックネームがとてもしっくりくる。
そのジェリーは、約90分のドキュメンタリー映画の中、2人のイーディに続いて登場シーンが多い。
そのためか、文字通りご近所の鼻つまみ者だった母娘に親切に接する姿のせいか、彼が母娘の唯一の理解者で、ずっと母娘の友人だったと考える人も多いだろう。
だが事実はほんのちょっと違うのだ。
ジェリーが心優しい青年で、イーディ母娘に親切だったことは間違いがないが、ジェリーと2人のイーディとの交友期間は案外短くほんの数ヶ月のこと。
その数ヶ月の間にメイズルス兄弟の映画の撮影が始まり、数週間を経て撮影が終わる。
フィルムはジェリーの存在が母娘間の力関係の均衡を乱す様子をとらえ、映画を見たものは彼が二人の生活に長くかかわっていたかのような印象を持つ。(注1)
だが、イーディ母娘の長年の友人だったのはジェリーではなく、ドキュメンタリー映画の登場シーンはジェリーよりも少ない(そしてミュージカル版には全く登場しなかった)アーティストのロイス・ライトとDr. ジャック・ヘルムスのほうだった。
この二人は母娘の数十年来の友人で、ロイスは1975年5月から1976年6月までの13ヶ月間、グレイ・ガーデンズで母娘と一緒に暮らしていた時期もある。(注2)
『グレイ・ガーデンズ』の後、ジェリーがどこで何をしているのかはメイズルス兄弟も知らなかったが、2006年、カルト・クラッシックの『グレイ・ガーデンズ』がミュージカルになったのをきっかけに、このドキュメンタリー映画が大きな注目を浴びるようになる。
そんな時、ジェリーがニューヨークでタクシーの運転手をしていることがわかるのだ。
ジェリーは「グレイ・ガーデンズ』ファンの注目を浴びるようになり、時々グレイ・ガーデンズでの思い出と母娘との交流を語るようになる。
その中には、ジェリーが
- グレイ・ガーデンズのリビングルームでふた夏暮らしたこと
- 1975年に映画がリンカーン・センターでプレミア上映された時、自分も招待されたが、ミセス・ビールを屋敷に一人で置いておくわけにはいかなかったので参加しなかったこと
- ミセス・ビールはグレイ・ガーデンズで亡くなり、その時には自分以外の誰もそばについていなかったこと
- ミセス・ビールが亡くなった後、リトル・イーディがグリニッチ・ヴィレッジのキャバレーでショウをするのを手伝ったこと
などがある。
だが残念ながらこれらは事実ではないらしい。
出版されたロイスの日記によると、ジェリーは結局グレイ・ガーデンズでは暮らさず、映画のプレミアの際に屋敷でビッグ・イーディと留守番もしていない。
実際に留守番をしていたのはロイスと庭師のブルックスだ。
ビッグ・イーディが亡くなったのグレイ・ガーデンズではなく病院で、リトル・イーディとブルックスに見守られながら亡くなった。
また、リトル・イーディのキャバレーでのショウもジェリーは手伝っていない。
彼があちこちで披露する話はどうやら、ファンを喜ばせるための誇張や嘘や思い違いがちらほらと混ざってしまうようで、まるで彼だけが母娘の長年の友人で、唯一の友人のように語ることがあったせいで、ジェリーはビール母娘の友人達や一部のファンから怒りを買ってしまったほどだ。
そんなジェリーの話による彼の半生はこんな具合だ。
- 高校を卒業後すぐの夏、親との関係が良くなかったジェリーは、ブルックリンの家を飛び出してイーストハンプトンのグレイ・ガーデンズの近くにある屋敷に住み込みで働きはじめた。
- 親と不仲だった原因の一つは、彼がゲイだったせいもあった。
- ある日ジェリーは、グレイ・ガーデンズの敷地内に放置された古い車に興味を持った。車の窓が開けっ放しで、キーはぶら下がったまま。近くの木の枝が車の中を通って窓から窓へと伸びている。(注3)。そこにリトル・イーディがやってきて、彼に向かって「あらまあ、大理石の牧神だわ」と話しかけたのが出会いだった。
- 映画の公開後しばらくしてイーストハンプトンを離れたジェリーは、サウジアラビアの王族の元で働いたり、著名な人形師の元で働き、世界中を旅した後でマンハッタンに戻り、ボーイフレンドと一緒に美術品専門の運送会社を経営した。
- しかし、80年代にボーイフレンドを亡くし、以降はクイーンズに移り住み、イエロー・キャブの運転手として働きながら、自伝を執筆したり、時々彫刻をやっている。
この話がどれくらい正確で、どれくらい思い違いや誇張が混ざっているのかはわからない。
だが、『グレイ・ガーデンズ』がブロードウェイミュージカルになり、映画の続編も公開され、ドリュー・バリモアとジェシカ・ラング主演で映画化されることになるなど、グレイ・ガーデンズ関連のイベントがこれまでになく増える中、現在もニューヨークに住むジェリーが、ミュージカルが上演されている劇場の前にタクシーを停めて客待ちをしたり、イベントに時々顔を見せてはファンを喜ばせていることは確かだ。

Photo by Sooim Kim
何を隠そう、わたしもそんなイベントでジェリーに会って大喜びしたファンの一人。
2008年3月、ドキュメンタリー映画を監督したアルバート・メイズルスがミュージカルのメイキング・ドキュメンタリーを製作し、そのマンハッタン・プレミアが行なわれた。
そのプレミア会場にジェリーも招待されていたのだ。
メイズルス監督はもちろん、ミュージカルのキャスト達やクリエイターもいた会場の中、一番の人気者はジェリーだった。
たくさんの人に握手を求められ、たくさんのカメラに収まっていた。
もちろんわたしも1枚パチリ。
どうだろう? 今も彼は「大理石の牧神」だろうか?
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注1:HBO Filmsの映画『グレイ・ガーデンズ 追憶の館』にもジェリーは登場するが、残念ながらほんの一瞬ちらりと見えるだけ。ジャッキー・オナシスの登場の後、屋敷の改修工事シーンで、ベッドのヘッドボードをかついで階段を上っていくもじゃもじゃ頭の少年が一瞬映る。それがジェリーだ。
注2:ロイス・ライトがグレイ・ガーデンズで暮らした期間の彼女の日記が本になって出版されている。本のタイトルは、”My Life at Grey Gardens: 13 Months and Beyond”
注3:この車が屋敷から撤去されたのは1972年という記録もあり、高校卒業してすぐの夏にイーストハンプトンでの仕事についてビール母娘に知り合ったというジェリー自身の話と食い違う。
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