Theater Review: Blackbird 『ブラックバード』

ジェフ・ダニエルズとミッシェル・ウィリアムズが冷たい火花を散らすパワフルな二人芝居

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Theater Review: The King and I 『王様と私』

帰ってきた渡辺 謙!
ミュージカル『王様と私』の豪奢な舞台

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Theater Review: Nice Fish 『ナイス・フィッシュ』

アイスフィッシングと人生と散文詩
マーク・ライランスが詩人ルイス・ジェンキンスと作る不思議な芝居

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Theater Review: The Flick 『ザ・フリック』

映画オタクも喜ぶ、静かなピュリッツァー賞受賞ドラマコメディ

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Theater Review: A Gentleman’s Guide to Love & Murder 『紳士のための 愛と殺人の手引き』

シリアルキラーのサクセスストーリー ミュージカル!?
『紳士のための愛と殺人の手引き』

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Theater Review: Fun Home 『ファン・ホーム』

重層的な記憶の表現が素晴らしい!
アイズナー賞受賞のグラフィック・メモワール原作、トニー賞5部門受賞の新ミュージカル Fun Home

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Theater Review: Constellations 『星ノ数ホド』

パラレルユニバースに存在する無限の可能性

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Theater Review: Bright Star 『ブライト・スター』

ブロードウェイに持って行けるか?!サン・ディエゴのOld Globeにてトライアウト中のスティーブ・マーティンとイーディ・ブリケル作オリジナルミュージカル この9月に、カリフォルニア州サン・ディエゴのOld Globe Theaterでワールドプレミアを迎えた新作ミュージカルがスティーブ・マーティンとイーディ・ブリケル作のBright Star。 スティーブ・マーティンといえばコメディアンや俳優としてよく知られているが、グラミー受賞暦のあるミュージシャンでもある。彼のグラミー受賞暦の最初にはもちろん、1977年の「Let’s Get Small」や、1978年のヒット曲「King Tut」を収録した「A Wild and Crazy Guy」などのコメディアルバムが上がる。 だが彼はバンジョー奏者や作曲家としても有名で、2009年に発表した最初の音楽アルバム「The Crow」はグラミー賞のブルーグラス部門ベストアルバムに選ばれた。 そのマーティンが、シンガー・ソングライターのイーディ・ブリケル(1988年のヒット曲「What I Am」を覚えているだろうか?)と組んで作ったのが2013年のアルバム「Love Has Come For You」。タイトルソングは今年のグラミーでベストアメリカンルーツソング賞を受賞した。 このアルバムのプロモーションコンサートツアー中、お互いが古いミュージカルのファンであることを発見した二人は、アルバムの曲を使ってミュージカルを作ろうと意気投合。そうして出来上がったのがBright Starというわけだ。 ミュージカルを観ると、この裏話は2つの理由で実にしっくり腑に落ちる。 それは、Bright Starの物語がなんとも古くさいから。そして、まるでジュークボックス・ミュージカルのように、後からとってつけた物語のような継ぎはぎ感が残っているからだ。アルバムからミュージカルに使われた曲は結局2曲のみで、残りは全て、ミュージカルのために二人が書き下ろした新曲だというにも関わらず。 念のために言っておくが、ブルーグラス風味の利いたマーティンとブリケルの曲は、魂が前世で覚えてきた曲のような懐かしさを感じさせるのに、それでいてとても新鮮だ。陽気な三味線のようなバンジョーの音色と弾むバイオリンの音に、足も勝手にリズムをとりだす。 だが、そんな曲たちを使って語られるのは古くさいゴシックメロドラマで、現代に生きる観客のための新しい発見や驚きはあいにく用意されていない。(ゴシックメロドラマ用の驚きは用意されているが、簡単に予測のつく驚きだ。)そのせいで、二人がなぜこの物語を今語るのだろうかと不思議になる。 第二次世界大戦直後、戦地から故郷のノースカロライナに戻ってきた青年ビリーは、ライターになるという夢を追いかけて、アシュビル・サザーン・ジャーナルに自分を売り込みに行く。編集長のアリス・マーフィーは、そんなビリーの姿を見て20年以上前の自分を思い出す。 ミュージカルは、夢を追うビリーと彼に密かに思いを寄せる幼なじみのマーゴの恋物語と、若い頃のアリスの不運な恋物語を同時に描いていく。その1940年代の物語と1920年代の物語が、やがて数奇なつながりを見せる。 これが映画の場合、2つの時代の物語をクロスカットで交互に見せつつ話を進めていくというのが常套手段。映画でおなじみのこの手法、実はこのミュージカルでも用いられている。つまり、時代は観客の目前で1940年代から1920年代、そしてまた1940年代と行きつ戻りつし、2つの物語が平行しながら交互に描かれるのだ。 舞台上で繰り広げられる少々めまぐるしい時代間の移動で重要な役割を果たしているが女性キャラクターの着る衣装(ジェーン・グリーンウッド)。 1940年代の服はしっかりしたショルダーラインときっちりウエストマークされたミディ丈のスカートが特徴的だ。身体の線を隠すようにストンと落ちる1920年代のドロップドウエストの服とはシルエットが明らかに異なる。 舞台に現れる女性の服のシルエットにさえ注目すれば、目の前で繰り広げられているのがどの時代の話なのかすぐにわかるようになっているのだ。(もっとも、男性キャラクターしか登場しないシーンはどの時代の話なのかじっくり考えるしかないのだが。) 特に、アリスが過去を回想するように描かれる最初の時代ジャンプシーンが良い。衣装替えを上手く使って時代が変わったこと表現するウォルター・ボビーのこの演出はとても効果的だ。 ユージーン・リーによるニュートラルでシンプルな舞台美術も、オーガス・エリクスモーエンのスムースな振り付けも、せわしない時代間の行き来を視覚的に邪魔せず良い。 スムースと言えば、ミュージシャンの演奏場になっている骨組みだけの小屋。この小屋は役者達の一押しで舞台上をスムースに動き、時にビリーの家になり、アリスの実家になり、酒場にもなる。 レンガの壁の背景に降りて来るノースカロライナの山脈のシルエットも美しい。(照明デザインはジャフィー・ウィードマン。) だが、秀逸な演出や流れるような場面移動と振り付けにも関わらず、Bright Starの物語はあまりスムースに運ばない。それはおそらく、スティーブ・マーティンの脚本に問題があるからだろう。 問題の一つは、キャラクターの感情の移り変わり。あるシーンから次のシーンへと変わると、キャラクターの感情が変わっていることがある。観客の想像力を利用した省略と考えるには少々お粗末な展開で、キャラクターの感情の変化を目の前で見られないせいで、物語にはブツ切れ感が出てしまう。 最終的に損をするのはキャラクターだ。理想主義的なことを言っていたアリスの恋人ジミー・レイは、いつの間にかその理想を引っ込めている。 ビリーは突然幼なじみのマーゴに自分が恋していると気付く。 そういった唐突さは全てキャラクターの薄っぺらさへと変化し、観るものはジミー・レイについてもビリーについても「この人たちは単純にマヌケなのだろうか?」と考えてしまうのだ。 そのため、ある疑問が頭によぎる。 アリスを演じるカルメン・キューザックは往年のハリウッド女優セレステ・ホルムを彷彿とさせるルックスで(まるでホルムの写真を手本にアリス役を作り上げたかのようにそっくりだ)、スターの輝きと役者としての力量を見せてアリス役を生き生きと演じている。 また、マーゴ役のハンナ・エレスも出番は少ないながら、舞台に出るたびに魅力を放射して観客の注目を集める。 その二人がなぜマヌケに恋をする? ひょっとして重要なのは、やっぱり顔なのか? Bright Starがブロードウェイに行くためには脚本の手直しが必要だろう。 なんせこれは古くさい新作なのだ。どんなに時間をかけて手直ししてもこれ以上古臭くなることはない。慌てず急がず、たっぷりと時間をとってキャラクターに深みを出してもらいたい。 All Production…

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Theater Review: Newsies the Musical『ニュージーズ・ザ・ミュージカル』

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Theater Review: Glengarry Glen Ross 『グレンギャリー・グレン・ロス』

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Theater Review: SPIDER-MAN: TURN OFF THE DARK 『スパイダーマン:ターン・オフ・ザ・ダーク』

ウルトラマンの背中のジッパーとミュージカル『スパイダーマン:ターン・オフ・ザ・ダーク』の関係

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Theater Review: Gatz 『ギャッツ』

華麗なる小説『華麗なるギャツビー』の華麗なる舞台化 何気なく手に取った小説を読み始めたはいいが、つい夢中になってそのまま一気に最後まで読んでしまったという経験はないだろうか? 誰かに話しかけられても上の空、食事中も、トイレに行くときもその本を手放せず、寝る間も惜しんでひたすら読み続けたという経験が。 わたしは何度もある。そんな時は決まって、自分が身体から離脱して小説の世界に入り込んだような、あるいは夢遊病になって小説の世界をさまよっているような不思議な感覚を味わう。 一昨年の秋、まさにそんな感覚を味わっている男を数メートル離れたところからじっと見守る特異な経験をした。しかも、あげくの果てに自分も男と一緒になって小説の世界をさまようというオチだ。 そんな経験をしたのは、2010年11月にニューヨーク、パブリック・シアター(Public Theater) でエレベーター・リペア・サービス(Elevator Repair Service)のGATZを観た時のこと。現在、同じくパブリック・シアターにて2012年5月13日までの期間限定で再演中の作品である。 GATZは、F・スコット・フィッツジェラルドの代表作であり、アメリカ文学を代表する作品でもあるThe Great Gatsby(『華麗なるギャツビー』『グレート・ギャツビー』と訳されている)を舞台化したものだ。 と言っても、小説を元に劇作家が芝居を書き、それを役者に演じさせ、舞台で上演したものではない。この作品は、フィッツジェラルドが小説の中に書いた言葉を文字通り一言一句省略せずに舞台上で朗読することで、小説『グレート・ギャツビー』をそのまま舞台上に表現して見せた異色の作品なのだ。 約200ページの本をまるごと1冊朗読するのだから、これを観るにはかなり時間がかかる。2度の15分休憩と1時間15分の食事休憩を入れて、約8時間の長丁場だ。しかし、座り心地の悪い椅子でお尻に痣を作ろうとも、それだけの価値ある演劇体験を得られるはずだ。 ある男が、朝、オフィスに到着する。一番乗りだ。古ぼけたオフィスには、少なくともここ40年は使い続けられているであろう、ネズミ色の事務机と事務椅子がある。机の上には「まさか、16ビット?」と目をこすりたくなる年代物のコンピューターが鎮座している。 男は朝の儀式のように、そのアンティークのコンピューターのスイッチを入れる。が、コンピューターは起動しない。コーヒー片手にあちこち叩いてみるが、全く反応無し。IT部門の技術者が来るまではお手上げ状態だ。(もっとも、このくたびれたオフィスを持つ会社にそんなハイカラな部門があるとも思えない。)手持ち無沙汰の男が机上の巨大ローロデックスの蓋をふと開けてみると、そこには1冊のペイパーバックが入っている。「何でこんなところにこんなもんがあるんだ?」そう言いたげな表情を浮かべた男は、本を手に取り、誰も居ないオフィスでぼそぼそと朗読し始めた。 “In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.” (「わたしがまだ若く、いまよりももっと傷つきやすかった頃、父がひとつの忠告を与えてくれた。以来わたしは、ことあるごとにその言葉について考えてきた。」) 日本の高校に通った者が、古典の授業で暗記させられた『平家物語』冒頭の「祇園精舎の鐘の声」を覚えているように、アメリカの高校に通った者なら、授業で読まされたThe Great Gatsbyの冒頭の数行をよく覚えているかもしれない。流れるようなフィッツジェラルドの文章は、まるで質の良い香水のようで、声に出して読むとその響きが残り香のような余韻となって心地よく耳に残る。 男は、ほんの時間つぶしのために読み始めた1922年夏のロングアイランドを舞台にした小説に少しずつ魅了されていき、時につっかえ、時に女の声音を作っては『グレート・ギャツビー』を読み進んでいく。 オフィスには次第に同僚や上司も出勤してくるが、机の前で本を朗読している男を皆さほど気にしている様子はない。ちらりと見はするものの、むしろ淡々と日常業務をこなしている。しかし、男が朗読する小説の中でキャラクターが口にしようとしたまさにその台詞を、偶然のように突然同僚が口にする。読み進むにつれ、オフィスを出入りする同僚やら上司は、次第に小説の登場人物となって物語の中に溶け込み、朗読の中に入り込んで行くのだ。 ベルトから鍵束をジャラジャラとぶら下げた、倉庫でフォークリフトを操っていそうな男は、気付いた時には、裕福な名家出身の尊大なスポーツマン、トム・ブキャナンになっている。オフィスで退屈そうに雑誌のページをめくっていた小柄の女性は、少々こすいところのあるプロゴルファー、ジョーダン・ベイカーに変わる。一番スタイリッシュな美人は、トムの妻であるデイジーとなる。そして男も徐々に、小説の読み手から、小説の語り手であり、第一次世界大戦帰りの29歳のイエール大卒証券マン、デイジーの従兄弟のニック・キャラウェイへと変化していき、ニックが一人称で語る物語の中にだんだんとからめとられていく。 その様子は、まるでぼかし染めの布を見ているかのように美しく、見事だ。色のグラデーションの境目がどこなのかをはっきりと指摘することができないのと同様、小説の朗読者が小説の語り手となっていった境目を指摘することはできない。 また、オフィスのボスとおぼしきハゲの大男が、難なくギャッツビーに変わって行くその様にも感嘆する。一部ではヨーロッパ貴族の末裔と噂される謎の富豪ギャッツビーを演じているのは、およそこの役を演るのにこれほど不釣り合いな俳優もいるまいという、のっそりしたハゲの大男(ジム・フレッチャー)。これが普通の映画や芝居なら、多分、どんな映画監督も舞台演出家も、彼をギャッツビー役に起用しようとは思わない役者である。(もっとも、それを言うなら他の役を演じている全ての俳優に言える。)しかし、劇場に座り、この男がオフィスのボスからだんだんとギャッツビーに変わっていく様子を見ていると、ハゲの大男がギャッツビーであることに何のとまどいも、違和感も、疑いも持たなくなるから不思議だ。 野心を抱き、本名のジェイムズ・ギャッツを捨ててジェイ・ギャッツビーとなった男。 胸の奥深くに秘めた夢を実現させるため、長い道のりをたどってロングアイランドの豪邸に居を構えた男。 ある偶然が起こることだけを望み、毎週豪勢なパーティを催す男。 ハゲの大男が古ぼけたオフィスで緑色に光る非常灯を見つめると、それはギャッツビーが湾の向こう側に見える緑の灯りに届かんと手を伸ばす姿に見えてくる。 その不思議を現実のものにしたのは、観ているものも全く気付かないままにその心をつかまえて小説の世界にこっそり置き去りにして行くジョン・コリンズの巧みな演出だろう。 小説を読んだ後にその映画化作品を見ると、自分が想像していたキャラクターの容姿と、映画でそれを演じる俳優の容姿とがあまりにも違い、そのギャップを埋められずに失望することが往々にしてある。 しかし、その失望はここでは決して起こらない。語り手ニックを演じるスコット・シェパードの朗読の背後で、オフィスの同僚を演じる俳優達はさりげなく舞台に登場してほんの少しだけその姿を見せ、自分の仕事へと戻って行く。その静かな出入りによって観客は彼らの姿にだんだんと慣れて行き、やがて同僚達がじんわりと小説の世界に溶け込み、例えピンク色のスーツを着た別の人間となって姿を現してもとまどいを感じなくなるのだ。…

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