1975年9月、ニューヨーク・フィルム・フェスティバルで、ドキュメンタリー作家のアルバートとデイヴィッド・メイズルス(Albert and David Maysles)兄弟の新作映画がプレミア上映された。
映画のタイトルはGrey Gardens(グレイ・ガーデンズ)。
ニューヨーク州マンハッタン島の東に位置するロングアイランドを、さらに東に100マイルほどぐんぐん進んだ高級住宅地、イーストハンプトンにある屋敷のことだ。
映画は、そこで暮らすケネディ家ゆかりの母と娘の風変わりな生活をとらえたものだった。
わたしがこの映画を初めて見たのは今から3年前。ゲイ社会でカルト人気を誇るドキュメンタリー映画を元にしたミュージカルがオフ・ブロードウェイで上演中というニュースを新聞で読み、興味をそそられたのだ。
これといった予備知識も持たずにDVDを入手したわたしは、そのパッケージの向こうからこちらを睨む女性に何か異様なものを感じた。
枯れ野の中、廃屋のような一軒家の前で、中年の女性が意志の強そうな視線をこちらに向けて立っている。深紅のリボンとレースをあしらったベレー帽をかぶり、黒のタートルネックセーターに深紅のスカートをはき、たっぷりした袖の毛皮のコートを着ている。オシャレだが、なんだか怖い。
裏を見ると、こんな説明文がついていた。
ビッグ・イーディとリトル・イーディ———上流社会からの落伍者、母と娘、隠遁生活を送るジャッキー・Oの従姉妹———荒れ果て、朽ちかけたイーストハンプトンの豪邸で繁栄した生活を送る
荒れ果て、朽ちかけた豪邸で繁栄した生活を送る? 随分おもしろい表現じゃないか。
しかし、映画を見てわかったのは、この表現が2人の生活をぴったり表しているということだった。

映画の冒頭から、母娘はそれぞれ独創的な服装でカメラの前に登場する。母ビッグ・イーディは、タートルネックセーターをまるでエプロンのように胸に当て、袖を背中で結んだだけ。娘リトル・イーディは、スカートを上下逆さまにはいて脇を安全ピンで留め、セーターを頭に巻いて髪の毛の代用品にしている。
パティオで日光浴をし、競うように昔話をし、レコードを聞き、アイスクリームを食べ、歌い、踊り、詩を暗唱し、手にすることができなかった夢を語り、言い争い、責め合い、ラジオを聞き、そしてまた歌い、踊る。

ゆったりとした不思議なアクセントで、時にコミカルに、時に詩的に、時に哲学的に、さまざまな事柄について耳に残る名文句を披露する。
「イーストハンプトンじゃ木曜日に赤い靴を履いただけで白い目で見られるのよ」
「これは革命的な衣装なの。イーストハンプトンで着たことがないわ」
「男の人にプロポーズされないってことは、死んでいるのと同じね」
「自分がやらなかった事は全て素晴らしいことに思えるものよ。その時はそれを欲しいとも思わなかっただけ」
「過去と現在の間に線を引くのは難しい」
映画を見終わるとしばし呆然となった。そもそも、こんな形態のドキュメンタリーを見たのは初めてだ。映画には作り手のコメントはおろか、ナレーションやテロップなどの後付け説明や、見るものの感情を盛り上げるための音楽がついていない。
唯一の説明は、冒頭にモンタージュで見せられる新聞の切り抜きだけ。
1分ほどのそのモンタージュで、観客は母娘が2人ともイーディス・ビールという名前で、ジャクリーン・ケネディ・オナシスの親戚であること、2人が住むイーストハンプトンのグレイ・ガーデンズという屋敷が、人間の居住に適した衛生状態ではないと立退き命令が出されたこと、ジャクリーンが屋敷を清掃修繕したのでその命令は取り消されたこと、メイズルス兄弟が2人の映画を撮ることになったことを知る。

それ以外は全て、母娘の会話と映像、時折はさまれるメイズルス兄弟の声、それに彼女達を訪ねてグレイ・ガーデンズにやってくる数人の人間との会話と映像、撮影時に実際にそこで流れていた音楽だけで構成されている。
緻密に計算された編集だけで、2人の生活の裏にある物語をじわじわと浮かび上がらせているのだ。結果、観客は作り手の意図に操られて2人を理解するのではなく、自分の生の感情で2人を理解することになる。
映画公開時、Salesman『セールスマン』やGimme Shelter『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』などの作品で著名なメイズルス兄弟の、この新作に対する評価は分かれた。絶賛する批評家がいる一方で、酷評する批評家もいた。
当時のニューヨーク・タイムズの映画批評家ウォルター・グッドマンは、映画が「不快感を与える」「ゴシップジャーナリズムの一種」で、そして「たるんだ皮膚」をカメラの前でさらけ出して馬鹿げたボーズをとる母娘は「グロテスク」だと評した。
「明らかに判断力の無い2人をメイズルス兄弟は利用している」「ジャッキーは、グレイ・ガーデンズを掃除するよりも、2人が世間の目に触れないようにすべきだった」と言う者もいた。そして、「ケネディ家ゆかりの2人がこのような生活を送るようになった理由が全く描かれていない」と指摘する者が多かった。
確かに、映画を見るとたくさんの疑問を持つ。
裕福な家柄出身のこの2人はなぜここまで落ちぶれたのだろう?

「偽もののメキシコ風離婚」をして、妻の元を去ったビール氏は、2人の没落にどう関係しているのだろう? 2人いるはずの息子はなぜ何もしないのだろう?
結婚したいと言い続けるリトル・イーディは、何人もの富豪からプロポーズを受けながら、なぜ一度も結婚しなかったのだろう?
それに、「31歳の時に生まれて初めて恋をした」という相手はいったい誰?
女優になりたかったリトル・イーディが、1952年に得た大きなチャンスを逃したのはいったいなぜ?
その同じ年の7月29日にニューヨーク市を去り、グレイ・ガーデンズに戻ることになったのはどうして?
そもそも、あのターバンの下の髪の毛はどうなっているの?
実は、映画の中で安易に使われるナレーションや、状況や背景説明のために取ってつけられた台詞ほど、興ざめさせるものは無い。映像で表現すべき作り手の手抜きと感じることもあれば、過保護な母親の余計なお世話的配慮を感じ、鬱陶しく思うこともある。
だからだろうか、これらの疑問に対する一切の説明が排された『グレイ・ガーデンズ』は、却って目と耳と全集中力を引き付けて離さなかった。
サイズの合わない古い服を独創的にアレンジして身につけ、サルマタケすら生えそうにない薄汚れた部屋で、パテの缶詰と茹でたトウモロコシ、アイスクリームの食事をし、過去の話を蒸し返しては言い争い、切り札をちらつかせては力関係の綱引きをし、ライバル心を燃やし、歌い踊って暮らすなど、頭で考えれば物悲しいだけだ。
しかし、その2人の風変わりな生活がなんだか自由で楽しそうで、一種の「繁栄した生活」に見える。賞賛のともなった憧れすら抱いてしまう。そして、映画をもう一度見たい、もっと2人について知りたいという欲求をむくむくと生じさせる。わたしの心の中に湧き出てきたこの感情はいったい何なのか? それはいったい何故なのか?
思い出したのは、この映画がゲイ社会で30年以上も愛されてきたという事実だった。
『グレイ・ガーデンズ』が撮影されたのは1973年。
1973年の12月、アメリカ精神医学協会(American Psychiatric Association)は、ホモセクシャルは精神病ではないという声明( “Homosexuality and Civil Rights Position Statement”)を発表した。

そして2年後、ニューヨーク映画祭でプレミア上映されたこの映画は、ゲイ社会でカルトとなった。『グレイ・ガーデンズ』はまるで秘密の暗号のように耳打ちされ、台詞が引用され、独特な服装が模倣された。リトル・イーディはゲイ・アイコンになった。
もともと、ゲイ・アイコンとなるのは、周りに理解されずに苦しみながらも、自分自身であり続けようと戦い続ける、非凡で劇的な女性が多い。ベティ・デイヴィス。ジュディ・ガーランドやライザ・ミネリ。バーブラ・ストライサンドにベット・ミドラー。そして彼女らが演じた多くのそんな女性たち。
女性はすべからく結婚し、家庭に入り、理想の妻となることが幸せなのだと刷り込まれていた時代に、ありのままの自分でいることを家族や社会から否定され、自分を偽るよりも、自分に正直に生きることを選んだビッグ・イーディ。
母同様に自分に正直に生きることを選び、例え辛辣で支配的であっても愛してやまない母の面倒を見るため、自分の人生の大半を犠牲にしてきたリトル・イーディ。
まともな判断力が無い、狂っていると思われていた母娘。精神病だ、治療して「治す」べきものだと思われていた同性愛者たち。社会からありのままの自分を受け入れてもらえなかったゲイの人々が、グレイ・ガーデンズの母娘に共感し、2人を温かく迎えたのも自然な話だ。
それから30年あまり。ドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』は傑作だという評価が定着した。映画を何度も見た者の間では、2人が狂っているのではなく、根っからのパフォーマーなのだという認識がじわじわと共有されるようになった。
時代はメイズルス兄弟とグレイ・ガーデンズの母娘、そして彼らが共同で作りあげたこの映画を、ありのままに評価してきたゲイ社会に追いついてきた。いまや、ゲイをテーマにした映画やテレビドラマがたくさん作られ、その昔は映画やテレビで同性愛を描くことが許されていなかったことなど嘘のようだ。
『トーチソング・トリロジー』 (Torch Song Trilogy)、『フィラデルフィア』 (Philadelphia)や『ブロークバック・マウンテン』 (Brokeback Mountain)に『ミルク 』(Milk)にPrayers for Bobby(原題)などなど、トニー賞、アカデミー賞、エミー賞にノミネートされた作品も多い。
女性は社会に出やすくなり、ゲイはクローゼットから出やすくなった。合衆国の一部の州では同性愛者間の結婚の権利が認められた。そして『グレイ・ガーデンズ』はキャンプを飛び出し、ブロードウェイ・ミュージカルになり、テレビ映画になった。
しかし、社会ではまだまだ自分とは違う人間に対する恐怖からの差別が絶えず、社会で共有されている暗黙の想定からはみだして生きようとする人間への風当たりが強い。
今年の10月28日、オバマ大統領が憎悪犯罪法案を承認し、その適用対象が人種や肌の色、宗教、国籍だけに限定されずに、性的指向や性同一性障害者への攻撃も含められることになった。ブッシュ前大統領が拒否権を発動し、グレイ・ガーデンズの母娘の親戚であり、この8月に亡くなったケネディ家の末弟、エドワード・ケネディ上院議員が法整備に力を注いできた法案だ。

同性愛者、性同一障害者、外国人、肌の色の違う者、違う宗教を信じる者、背の高い者、低い者、太った人、痩せた人、美しい人、そうでない人。木曜日に赤い靴を履く人。ありのままの自分で良い。
全てのはみ出し者は、グレイ・ガーデンズに暮らした2人の女性の姿に勇気づけられるだろう。このわたしがそうであったように。
今さら言うまでもないが、1975年に初めてニューヨークで上映されたメイズルス兄弟のドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』は名作だ。プレミア上映に先駆け、グレイ・ガーデンズで試写を見たビッグ・イーディは映画を「傑作だ」と言い、リトル・イーディは、「メイズルス兄弟はクラッシックを作った。芸術的大成功」と評した。
その映画が日本で劇場公開はおろか、テレビ放映もされたことが無く、日本語字幕付きのDVDすら発売されていないというのはなんとも残念な話である。
Photos: ‘Grey Gardens‘ © Maysles Films
注:アルバート・メイズルスとデイヴィット・メイズルス兄弟は、シネマ・ヴェリテのアメリカ版とも言われる「ダイレクト・シネマ」のパイオニア。ドキュメンタリー映画における編集がいかに映画そのものを左右するか熟知しているメイズルス兄弟は、編集担当者も必ず映画の監督としてクレジットすることにしている。
Grey Gardens
オフィシャルサイト
Filmed by Albert Maysles, David Maysles
Directed by David Maysles, Albert Maysles, Ellen Hovde, Muffie Meyer
Editing by Susan Froemke, Ellen Hovde, Muffie Meyer
Producer: The Maysles Brothers, Portrait Films, Inc.
Associate producer: Susan Froemke
Starring: Edith “Big Edie” Ewing Bouvier Beale, Edith “Little Edie” Bouvier Beale
Release dates: USA 27 September 1975 (premiere at NYFF), USA 19 February 1976 (limited release)
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