オタクの証明:グレイ・ガーデンズ探訪記

「なんで自分がオタクだと思うの?」

自分のことを「オタク」と称してはばからないわたしを不思議に思った妹が、ある日そう質問してきた。

「え? 知らなかったの? じゃあこれを見てごらん。」

不信顔の妹を納得させるためにわたしが持ち出したのは、去年の夏にニューヨークのイーストハンプトンで撮ったあるお屋敷の写真。

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これを見て、どのお屋敷かピンときたならあなたも相当なオタクだ。

そう、これはわたしがその不思議な魅力に取り憑かれたメイズルス兄弟の1975年のドキュメンタリー映画、「Grey Gardens」の舞台となったイーストハンプトンのお屋敷、その名もグレイ・ガーデンズの現在の姿なのである。

と言っても一部しか写ってないが。

1897年に建てられたグレイ・ガーデンズは、名前の由来にもなったグレーのコンクリートで囲まれた美しい庭が有名だった。

しかし、屋敷をさらに有名にしたのは、1920年代から50年以上そこに住み続けた二人の住人だ。

ジャクリーン・ケネディ・オナシスの叔母と従姉妹、ビッグ・イーディことイーディス・ブービエ・ビールと、同じ名前を持つその娘のリトル・イーディである。

裕福な上流階級出身の母娘は、頑固なまでに自分のライフスタイルを貫き通したせいで凡人の想像を絶する状態にまで没落する。

想像を絶する状態がどれほどかと言うと、悪臭がひどいと近隣から保健所に苦情が届き、保健所から不衛生で人間が住める状態ではないとお墨付き(というか立ち退き命令)をいただき、人間が住める状態に戻すには数千のゴミ袋とひと財産が必要なほど、だ。

1971年の保健所の立ち入り調査により二人は立ち退きの危機に直面し、ケネディ家に縁のある人間だったせいでそれが大ニュースとなる。

1972年の春、スキャンダルを鎮めるためにジャクリーンとその妹のリーが助けの手を差し伸べて家を大掃除したおかげで、母娘は立ち退きを免れてグレイ・ガーデンズにその後も住み続ける。

そして翌年の1973年、二人のイーディの生活とその愛憎からまる複雑な母娘関係をドキュメンタリー映画作家のメイズルス兄弟がフィルムにおさめ、それが先に書いたドキュメンタリー映画「Grey Gardens」となるのである。

二人のイーディのボヘミアンな生活と哲学、リトル・イーディのオリジナルで奇抜なファッションを記録したこの映画は特にゲイ社会でカルトとなり、2006年には舞台ミュージカル化され、今年の4月にはHBO Filmsがテレビ映画としてドリュー・バリモアとジェシカ・ラング主演でドラマ化した。

数年前にこの映画を見て以来、社会から白い目で見られようが自分らしさを失わずに生きることを選んだ二人のイーディの虜になったわたしは、グレイ・ガーデンズを一度訪ねたくてたまらなかった。

そしてそれが実現したのが去年の夏。

ショッカーに改造された本郷猛よろしく、わたしに「Grey Gardens」のファンに改造された友人とその家族を巻き込んだ一泊二日グレイ・ガーデンズ訪問ツアーを決行したのだ。

いや、「訪問ツアー」と言うより、「見物ツアー」と言うのが正しいか?

マンハッタンから車を走らせること約3時間。まずイーストハンプトンの街に立ち寄ったわたしたちは、街のおしゃれなパブでビール抜きの腹ごしらえを済ませてこれから始まる「未知との遭遇」に備える。

高鳴る心臓の鼓動を押さえつつ、わたしと友人ともうすぐ3歳になる彼女の娘はドキュメンタリー映画でお馴染みのリトル・イーディの扮装、と言ってもスカーフを頭に巻くだけの簡易コスプレを装着。

2.5人のリトル・イーディとそのお付きの者(つまりは運転手を務める友人の夫と特に役割無しのわたしの相棒)となったわたしたちは再び車に乗り込み、いざ目的地へ。

と、目の前を流れる辺りの景色が一変した。

街を離れて目的地に近づけば近づくほど家々の敷地は広くなり、車庫ですら豪邸のようだ。狭まる道幅は道路に面した生け垣がまるで兵隊のGIカットのように手入れが行き届いている様子をくっきりと見せつける。

ホンダアコードに乗ったわたしたちは明らかに場違いな存在。鼻風邪を引いたチワワでもすぐに侵入者と嗅ぎ分けるほど、よそ者臭がぷんぷんする。

グーグルマップでの入念なリサーチのおかげで迷うことなく目的地に到着できたことに感謝し、他の車の影を見たらすぐさま移動させねばならない細い道に車を停めることを気にしつつ車を降りた。

辺りに聞こえるのは車のエンジンが冷えていくカチカチという音と、夏虫の声、風にそよぐ木々のざわめきのみ。

そして目の前に見えるのが、あのグレイ・ガーデンズ。

おおっ。これが!

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と感動してみたものの、実際はご覧のとおり生い茂る青々とした草木で家は一部しか見えない。

ビッグ・イーディがグレイ・ガーデンズを娘に遺して1977年に他界した2年後、リトル・イーディは屋敷を取り壊さないことを条件にワシントン・ポスト紙の当時の編集主幹、ベン・ブラッドリーと前年に結婚したばかりのライターの妻サリー・クインに売却する。

ベン・ブラッドリーと言えば、ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件の追及を影でささえた世界に名だたるジャーナリストだ。

しかも、ジャクリーンの暗殺された夫、ケネディ大統領ともかなり親しい間柄だった人物。

その彼が何の因果かグレイ・ガーデンズを買い取って莫大な費用と時間をかけて大改装し、聞くところによると1年のうち1ヶ月だけは自分たちが使い、残りの11ヶ月は慈善家/動物愛護活動家のフランセス・ヘイワードに貸しているらしい。

そりゃそうだ。ベン・ブラッドリーはまだまだ現役でワシントン・ポスト紙の編集委員を務めているのだ。普段はワシントンDCにお住まいのはず。

その日、ブラッドリー夫妻とヘイワード女史のどちらがグレイ・ガーデンズに居ようとも、「わざわざ日本から来たんです」とお涙頂戴の与太話を披露して中を見せて欲しいと(そしてブラッドリー氏だった場合にはサインも欲しいと)お願いする決心をしていた。ただの金持ちならいざ知らず、立派なジャーナリストや慈善家なら少しは耳を傾けてくれるかもしれない。

しかし、車回しには3日分ほどの郵便物が放置されたまま。

日本語で話しながら敷地のすぐ外をうろつく不審者の様子を家の者がチェックしている気配もない。

どうやらグレイ・ガーデンズは主がお留守のよう。

さて、どうする?

家をもっと良く見たいという欲求はあるものの、ここはイーストハンプトンでも屈指の高級住宅地。
ご近所にはマーサ・スチュワートや脚本家のノーラ・エフロンの家が立ち並び、庶民は体感したことが無い独特の雰囲気、そう、ちょっとでも境界を犯すとセキュリティ会社の制服を着た屁っぴり腰の人間が震える手に銃を握りしめて駆けつけてきそうな雰囲気がただよう。

そう言えば、さっき通り過ぎたお屋敷の庭には目に見えない赤外線探知機があるから変な気はおこすなという小さな警告が立てられていた。

こういう高級住宅地は警察の出動がやたらと早いという噂だ。

どこから見ても怪しいアジア人でしかないわたしたちは、ひょっとしたらこの道も私道なんじゃないかとビクつき始め、これはとっとと記念撮影を済ませてとんずらするに越したことはないと、大慌てでリトル・イーディのコスプレ撮影会を開始した。

ご近所の通報で警察でも来ようもんなら、「いや、子どものおむつを替えなくちゃいけなかったので」とかなんとか友達の娘っ子を言い訳に使えるよう、手には紙おむつを握りしめたままという念の入れよう。

そうやって、ウォーターゲート事件の犯人並みにこそこそと、それこそ命をかけて撮影した写真がこの写真達。

その甲斐あってか、この写真とグレイ・ガーデンズ訪問物語はわたしが立派なオタクであることを証明してくれた。

「映画の撮影場所まで行ってコスプレして写真を撮るなんて、正真正銘のオタクだね。」

今では妹も納得している。

Photo © Sooim Kim

おまけ1:あの日は敷地内をちらりとも見られなかったわたしたちだが、写真や動画でならびくつかずにじっくり見られる。
現在のグレイ・ガーデンズのガーデンを作ったガーデナーによる庭の紹介動画
グレイ・ガーデンズの今と昔の写真スライドショー

おまけ2:ところで、ブラッドリー夫妻がグレイ・ガーデンズの新しいテナントを探している。伝えられるところによると、ラッキーなテナントは既に5年契約を結んだそうだが、気になるのはその家賃。今年の8月28日~9月7日の11日間を約3万ドルで貸し出すという広告も出ていたという噂なので、毎月のお家賃は推して知るべし。

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