アイスフィッシングと人生と散文詩
マーク・ライランスが詩人ルイス・ジェンキンスと作る不思議な芝居
2月28日にLAで開催された第88回アカデミー賞でマーク・ライランスが助演男優賞を受賞した時、フランク・スタローンは思わず「マーク、誰?」とツイートした。巷では『クリード チャンプを継ぐ男』(‘Creed’)でロッキー・バルボアを演じた兄シルベスター・スタローンの受賞が確実だと言われていたのに、予想外の結果に腹立ちを隠せなかったらしい。
彼のこの反応も仕方がない。オリビエ賞に2度輝き、長年シェイクスピアのグローブ座で芸術監督を務めていたライランスは、英国演劇界では有名な人物。ブロードウェイでもトニー賞を3度受賞し、今、最も尊敬されているシェイクスピア役者であり、演出家、劇作家だ。だが、BBCのテレビドラマ『ウルフ・ホール』(Wolf Hall)や、今回スタローンを退けてオスカーを受賞することになったスピルバーグ監督映画『ブリッジ・オブ・スパイ』(‘Bridge of Spies’)が公開されるまで、一般にはあまり知られていなかった。
おまけに、事前にたっぷりキャンペーンをして、人前(すなわちアカデミー協会の会員たち)に常に姿を見せることが受賞につながるアカデミー賞で、ライランスはテレビのトークショーにも出演せず、ゴールデン・グローブ賞を除きノミネートされたアワードの授賞式のどれにも姿を見せなかったのだ。フランク・スタローンのように「誰?」と思ったり、受賞に驚く人がいてもおかしくはない。
では、ライランスはアワード・シーズン中何をしていたのか?
氷の上で魚釣りをしていたのだ。

1月半ばからのマサチューセッツ州ケンブリッジでの公演を経て、現在ブルックリンのSt. Ann’s Warehouseで上演中の‘Nice Fish’は、マーク・ライランスがミネソタの詩人ルイス・ジェンキンスと共に作りだした作品。ジェンキンスの散文詩をつなぎ合わせ、そこから物語を浮かび上がらせた芝居である。
既存の音楽をつなぎ合わせてストーリーを作り上げるミュージカルがジュークボックス・ミュージカルと呼ばれるなら、既存の詩をつなぎ合わせて作り上げた芝居はジュークボックス・プレイと呼べばよいのだろうか? だがこの‘Nice Fish’、 従来の芝居というよりモノローグのあるスケッチ集に近く、どう呼ぼうがそこからはみ出る不思議な魅力を持ったシュールな作品に仕上がっている。

エリック(ジム・リッツチャイドル)とロン(ライランス)が凍りついた湖でアイスフィッシングをする。「あまりに悲しくて、何をやっても無理な日がある」という無表情なエリックは、スマートなグリーンのダウンジャケットに身を包み、手慣れた様子で高そうな道具を操り魚釣りをする。
一方、無邪気でおふざけ好きのロンは見るからにド素人。南極探検中のテレタビーズのような全身オレンジの重装備でもたもたと氷に穴を開け、ありとあらゆる道具と格闘してドタンバタンと魚釣り。ポーカーフェイスで魚がかかるのを待つエリックとは対照的に、ロンはハムサンドイッチを作り、ビールを飲み、魚の壁飾りで遊び、雪だるまになって「グローバル・ウォーミングが本当に心配なんだよ〜」とふざけつつ、氷の下にいる何かが針にかかるのを待っている。とりとめない(と思われる)話をしながら。
そのとりとめない話はほぼ全てがジェンキンスの散文詩からとられたものだ。一つ一つがモノローグで語られ、それぞれのシーンとシーンの間は暗転でつながれていく。やがてそこに四角四面な役人(ボブ・デイヴィス)が訪れ、近くにサウナハウスを持つ奇妙な娘フロー(ケイリー・カーター)が訪れ、その祖父ウェイン(レイ・バーク)が訪れ、それぞれがまたモノローグを語る。そうこうするうちに物語はファンタジックになって超現実感をはらみ、エリックとロンは自分たちが本当は誰なのかを知っていくのだ。

ジェンキンスはミネソタ州ダルースに住むアメリカの詩人。ライランスとはちょっと有名なエピソードがある。2008年に最初のトニー賞を授賞した際、壇上に上がったライランスは、あっけにとられる観客を尻目にジェンキンスの散文詩’Backcountry’を受賞スピーチとして暗唱した。
それがきっかけとなって二人の交流が始まり、その後、2011年の2度目のトニー賞受賞の際にも’Walking Through a Wall’を暗唱したライランスが、ジェンキンスの散文詩を使って芝居を作るという長年温めていたアイデアを形にしたのがこの‘Nice Fish’。タイトルはジェンキンスが1995年にミネソタ文学賞を受賞した詩集からとられた。
シェイクスピアの書いた言葉も詩。少年時代をアメリカ中西部で過ごし、英国でシェイクスピア劇に携わってきたライランスが、ミネソタの詩人ジェンキンスの散文詩をパッチワークのようにつなぎ、物語を描き出すのは至極自然なことに思える。

ジェンキンスの散文詩は読むだけで笑顔を作る茶目っ気に溢れ(「散文詩」というタイトルの彼の散文詩によると、散文詩は「もちろん本当の詩ではな」く、「詩人に行分けする能力が無いか、怠けているか、あるいは頭が悪くてできないか」だそう)、平易な言葉で日常をつらつらと描写しただけにみえながら、突然それ以上の意味を持ち始めて読む者に驚きをもたらす。
‘Nice Fish’も同様、ライランスがちょっとした仕草、ちょっとした表情、ちょっとした言い方でひょうきんさを醸し出す様子に笑いをこぼしている間に、ベケット作品を思わせる不条理なエンディングに導かれハッとするのだ。

不思議な魅力を引き立てるのはミニチュアを使って遠近感と寓話感の両方を表現したトッド・ローゼンサルの美しいセットと、氷原の朝から夜の光を申し分なく作り上げたジャフィー・ウェイドマンの照明。そこに映えるイローナ・ソモギの衣装と、スコット・W・エドワーズの音響デザインも良い。
素晴らしいアンサンブルキャストをリズミカルな演出でまとめるのは音楽家であり、ライランスの妻であるクレア・ヴァン・カンペン。

寒空の下、凍てついた氷に穴を開け、その穴の中に垂らした糸に何かが引っ掛かるのを待つエリックとロンは、日々何かを探し求める全ての人間を象徴している。笑いと、喜びと、詩に溢れる風変わりな作品を見た後、自分が捕まえようとしている魚は何なのか、ふとそれを考える。
All Production Photos by Teddy Wolff
Nice Fish
St. Ann’s Warehouse
45 Water Street, Brooklyn, NY
オフィシャルサイト
プレビュー:2016年2月14日
オープン:2016年2月23日
終演:2016年3月27日
上演時間:95分(インターミッション無し)
Credit: Written by Louis Jenkins and Mark Rylance; Directed by Claire Van Kampen; an American Repertory Theater production, Diane Paulus, Artistic Director
Cast: Mark Rylance, Jim Lichtscheidl, Bob Davis, Raye Birk and Kayli Carter
2008年トニー賞 マーク・ライランスの授賞スピーチ
2011年トニー賞 マーク・ライランスの授賞スピーチ