9月の半ば、ショッキングなニュースが英国から飛び込んできた。
英国が欧州連合から離脱するという通称「ブレグジット(Brexit)」のニュースと同じくらい衝撃を与えたのは、英国でこよなく愛されているリアリティ番組『The Great British Bake Off』がBBCから「離脱」してChannel 4に移るというニュースだった。
名物番組司会者の2人も移行後は番組から降りるという。
「え!?」と驚く間も無く、審査員2人のうちの1人が司会者コンビに続いて移行後の番組離脱を発表。
となると、現在いる4人のキャストのうち残るのはたった1人。
番組はどうなってしまうのかという不安が暗雲のように立ちこめる。

アメリカでは『The Great British Baking Show』というタイトルでPBSにて放映されているこのリアリティ・ショー、英国のTV史上最も視聴者が多いモンスター番組だ。
この番組よりも高視聴率を取るのはワールドカップのサッカーの試合ぐらい。世界中で大人気のベネディクト・カンバーバッチ主演ドラマシリーズ、『シャーロック』もこの人気には及ばない。
番組放映期間中は毎週水曜日の夜になると英国のお茶の間にあるテレビのチャンネルがBBC Oneに合わせられ、1000万人の英国人が巨大なテントの中で行われるベイキングコンテストの様子を見守るのだ。
そう、『The Great British Bake Off』はアマチュアベーキングコンテスト。プロダクションカンパニーのLove Productionsが、村のベイキングコンテストをイメージして制作した番組である。
3つのチャレンジ
番組の構成はいたってシンプル。
シーズンの始めに12人のアマチュアベイカーが登場し、週ごとに決められた「ケーキ」「パン」「パイとタルト」「チョコレート」といったテーマに沿って、毎週3つのチャレンジに挑戦する。
その1:シグニチャー・チャレンジ
最初はシグニチャー・チャレンジだ。
参加者は与えられた課題に合う自慢のオリジナルレシピを用意し、それをテントの中で作ってみせる。課題は参加者にあらかじめ知らされるので、何度も試作の上本番に挑めるのが特徴だ。
今年の7月から米PBSで放映されたシーズン3(注)のエピソード1(つまり第1週目)は「ケーキ」がテーマ。シグニチャー・チャレンジの課題は「マデイラケーキ」だった。
日本ではあまり聞きなれないケーキだが、バター、卵、砂糖、小麦粉を使い、レモンの皮で香りづけした少ししっかり目の英国風スポンジケーキのこと。
参加者はそれぞれ独自のマデイラケーキ レシピを用意する。ブラッド・オレンジを使ったものや、レモンとタイムの入ったもの、ジン&トニック風味のものなど、オジリナルのケーキを限られた時間内で焼き上げる。
それを2人の審査員が試食して批評するのだ。
その2:テクニカル・チャレンジ
2つ目はテクニカル・チャレンジ。
課題は事前に知らされず、参加者はその場でレシピと材料を受け取り、初見のレシピに沿って課題を焼き上げる。
しかも、そのレシピには基本的な作り方しか書かれていない。
詳細やコツは省かれ、オーブンの温度や焼き時間の指定が無いこともある。
つまり、参加者の知識と経験が問われるチャレンジなのだ。
シーズン3エピソード1のテクニカル・チャレンジの課題は、メレンゲでフロスティングされたクルミのレイヤーケーキ。
細かく砕かれたクルミがふんだんに焼き込まれた三層のケーキの間にバニラ風味のバタークリームがはさまり、それをメレンゲでフロスティングし、カラメルコーティングしたクルミで飾り付ける。
これを審査員が目隠し審査、つまり、誰がどれを作ったか知らないままに試食し、純粋に味や形だけで優劣の順位をつけていく。
その3:ショーストッパー・チャレンジ
3つ目はショーストッパー・チャレンジ。
参加者が自分の才能と技術を最大限に見せるためのチャレンジで、見た目も味もプロフェッショナルな仕上がりが求められる。最初のチャレンジ同様、こちらも課題は参加者に事前に知らされるので、参加者は自宅で試作を重ねることができる。
シーズン3エピソード1のショーストッパー・チャレンジは「ブラック・フォレスト・ガトー」。
日本では「シュワルツベルダー・キルシュトルテ」というドイツ語名で馴染みがあるドイツ菓子で、「黒い森のさくらんぼ酒ケーキ」という意味のキルシュ漬けさくらんぼを使ったチョコレートケーキだ。
この3つのチャレンジ全てを2人の審査員が審査し、一番良かったベイカーを「スター・ベイカー」として褒め称え、一番良くなかったベイカーはその週で脱落して次の週には進めない。
そうやって参加者が3人になるまで絞り込み、その3人が決勝戦に挑む。
そして最終的にその年の最も優秀なベイカーが1人選ばれるのだ。

英国の縮図となる参加者たち
たったこれだけの単純な番組なのだが、これが見ていてとても面白い。
しかも、清々しいほどに気持ちが良い。
アメリカのリアリティ番組には、参加者同士の争いや醜い喧嘩を強調して人間ドラマを盛り上げるものがよくある。参加者の中には「この番組に参加したのは勝つためであって、友達を作りに来たのではない」とはっきり口にし、ライバルを蹴落とす勢いの好戦的な者までいる。
だが、『The Great British Bake Off』に登場するのは皆好感が持てるフレンドリーな人たちで、参加者同士がいがみ合うことはなく、純粋に腕を競い合う。
当然ドロドロのドラマが一切ない。
ベイカー達が互いを尊重し合いながらひたすらパンやケーキを焼く姿が見ていてとても心地よい。
しかも、優勝した者に与えられる商品がガラスの皿だけというのも潔く、そのせいで、優勝がとてつもない名誉で、勝者がそれを誇りに思っていることがよくわかる。
さらに、参加者の多様性も見ていて気持ちが良い。
老いも若きも男も女も、職業やバックグラウンドも様々な人間たちが集まり、真剣な面持ちでパンやケーキを焼いている。
そこには「ケーキを焼く=女子力が高い」などという、日本で蔓延しているうんざりする性差別は微塵も存在しない。
大学に行く前のティーンエイジャーがいるかと思えば、プロのミュージシャンや刑務所の所長、医者に会計士に消防士、ご隠居さんも居る。リトアニアやバングラデシュ、フィリピンからの移民もいて、参加者はまるで現代の英国の縮図。
その多様な人たちが、ただ一つ、ベイキングの腕を競い合うのだ。

だからと言ってドラマもないわけではなく、人間ドラマとは別のハラハラとドキドキのドラマが山のようにある。
火にかけた砂糖がカラメルにならず、再結晶してしまう。
カスタードクリームがダマになってしまう。
スポンジケーキが膨らまない。
イーストが発酵しない。
焦がしてしまった!
落としてしまった!
生焼けだ!
テレビのこちら側で見ている者にもお馴染みの日常的な小さな手違いや間違いがここでは大きなドラマとなり、視聴者の脳裏に苦い思い出を呼び起こして共感を呼ぶ。

名物審査員と名物司会者
審査するのは、英国版ジュリア・チャイルドとも言える、上品な威厳と洗練された雰囲気を持つフード・ライター、メアリー・ベリーと、この番組で一躍セレブリティ・シェフの仲間入りをした、厳しい評で有名なむっつり顔のベイカー、ポール・ハリウッド。
司会はコメディアン・デュオのスー・パーキンズとメル・ギエドロイクで、気さくなこの二人が時折さらりと性的なほのめかしがある言葉を口にする。
「生地玉を触るのは止め!」(”Stop touching your dough balls!”)
「さあ、ベイカー達、割れ目を披露する時間です!」(“Right bakers, time to reveal your cracks”)
審査員も思わずニヤリとする司会者の言葉が番組の雰囲気を軽く明るく盛り上げる。
この4人のハーモニーが絶妙で、番組の人気の大きな秘密でもある。
だが残念なことに、4人揃ってのBake Offは現在英国で放映中のシーズン7で終了する。
司会者のメルとスーに審査員のメアリー・ベリーの3人は、2017年からChannel 4で始まる新シーズンには出演せず、審査員のポール・ハリウッドだけが新キャストとともに続行することになった。
番組が来年以降どうなるかは未知数だが、幸いなことに、PBSは英国BBCで放送された7シーズンのうち3シーズン分の放送を終えているだけ。
アメリカの視聴者にはまだまだたっぷり4シーズン分が残されている。
Photo Copyright © Love Productions
注)米PBSで放映されているシーズンは、英国で放映されているシーズンと同じではない。米PBSで放映されているThe Great British Baking Showのシーズン1は英国のThe Great British Bake Offのシーズン5、米PBSのシーズン2は英国のシーズン4、米PBSのシーズン3は英国のシーズン6となる。なお、現在英国ではシーズン7が放映中。
PBSのThe Great British Bake Off オフィシャルウェブサイト
追記:『ザ・グレート・ブリティッシュ・ベイクオフ』が日本でも放送スタート!
英国だけでなく、アメリカでも大人気の『ザ・グレート・ブリティッシュ・ベイクオフ』が、日本でも全国無料のBSテレビ局、Dilife(ディーライフ)で見られる!
2018年1月8日から『ブリティッシュ ベイクオフ』のタイトルで放送が始まった。
詳細放映スケジュールは以下のオフィシャルサイトでチェック!
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