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Downstate | Theatre Review — From the Archive

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Francis Guinan, Glenn Davis, Susanna Guzmán, Eddie Torres, and K. Todd Freeman in Downstate, Photo by Joan Marcus

【トリガーワーニング】
本稿では、児童への性的虐待、性犯罪、被害者のトラウマについて扱っています。

「あなたは根本的に邪悪な人間だ」

平凡で質素なリビングルーム。40代とおぼしき自信なさげな男が、横に座る妻に励まされながら手紙を読み上げている。

それを聞いているのは、邪悪とは程遠い、むしろサンタクロースの扮装が似合いそうな電動車椅子に座った男。手紙を読む男を気遣うようにこう尋ねる。

「本当にコーヒーはいらないの?」

イリノイ州のダウンステートにある平屋で、4人の男たちが共同生活を送っていた。

電動車椅子を使うフレッド(フランシス・ギナン)は小綺麗で温和な70代。そのフレッドの面倒を60代の元パフォーマー、ディー(K・トッド・フリーマン)がみる。多弁な30代のジオ(グレン・デイヴィス)はStaplesに勤め、無口な40代のフェリックス(エディ・トーレス)は自室に引きこもる。

一見すると、どこにでもいそうなありふれた男たちだが、彼らは決してどこにでもいてほしい男たちではなかった。

4人はいずれも、未成年者に対する性犯罪で有罪判決を受けた元受刑者たち。足にはGPS追跡装置をつけ、定期的に保護観察官アイヴィ(スザンナ・グスマン)のチェックを受けている。

その家は、ほかに行き場のない性犯罪者たちが暮らすグループホームだったのだ。

Francis Guinan, Sally Murphy, and Tim Hopper in Downstate, Photo by Joan Marcus
Francis Guinan as Fred, Sally Murphy as Em and Tim Hopper as Andy in Downstate,
Photo by Joan Marcus

シカゴのステッペンウルフ・シアター、ロンドンのナショナル・シアターでの上演を経て、ニューヨークのプレイライツ・ホライズンズで上演されたブルース・ノリスの『Downstate』は、子どもへの性犯罪で有罪となった男たちの「その後」を描いた作品だ。

彼らは、驚くほど普通の生活を送っている。

近所のスーパーで買ってきた食品を片づけ、バナナが青いと文句を言い、同居人にインスタントのココアを作ってやる。ショパンのプレリュードを聴き、聖書を読み、ブリッジをする。時には冗談を言い、誰かを気遣い、いがみあう。

だが、私たちと何ら変わらない生活をしている彼らの「普通の日常」こそが、観ているこちらを不安にさせる。

未成年者への性犯罪を扱った作品はこれまでにもあった。ポーラ・ヴォーゲルの『How I Learned to Drive』(1997)は少女への性的虐待とその記憶を、デイヴィッド・ハロワーの『Blackbird(2005)は加害者と被害者の再会と対決を描いた。また、2004年に映画化されたスティーブン・フェクターの『The Woodsman』(2000)は、少女を対象とした性犯罪で服役した男が社会で「ノーマル」になろうとする姿を描いた。

しかし『Downstate』が描くのは、刑期を終えた複数の性犯罪者たちが、社会の中で生活する姿。

それこそが観る者を恐ろしく不安にさせるのだ。

忌まわしい凄惨な事件を起こした犯罪者を「モンスター」として片付けてしまうのは簡単だ。彼らが「モンスター」なら、「人間」の私たちは彼らを「自分たちとは違う存在」として簡単に切り離すことができる。「あの人たちは人間じゃない」と考えられれば、彼らの家に銃が撃ち込まれようが、行動範囲がさらに狭められてスーパーマーケットに行けなくなろうが、「当然だ」と吐き捨てることもできる。

だが、舞台上の彼らは「モンスター」ではない。

ブルース・ノリスのピューリッツァー受賞作となった『Clybourne Park』も演出したパム・マッキノンは、彼らの日常をごく自然なものとして見せていく。

トッド・ローゼンタールの舞台美術は、平凡な色の壁やカーペットとありきたりな家具で、古ぼけた、ごく普通の家をつくりあげる。クリント・ラモスの衣装は、そこに住む男たちをどこにでもいそうなそのへんの人間として見せる。そうした「平凡さ」や「普通さ」が、彼らが犯した犯罪との不穏な対比を生んでいく。そして、彼らのその「普通の日常」を、蛍光灯を使ったアダム・シルヴァーマンの照明が、まるで観客の視線そのもののように冷たく照らし出すのだ。

そして、私たちと同じ人間である彼らが犯した恐ろしい罪の詳細と、彼らが自分たちの犯罪をどう認識しているのかが少しずつ明らかになっていく。

ディーは、30代だった自分と14歳の子役との「関係」を「恋愛」と言い、それを理解しようとしない周りに挑戦的な態度をとる。

ジオは、自分の法定強姦について、相手が自分に年齢を偽ったからだ、自分は他の連中よりましだと豪語する。

フェリックスは、娘への性的虐待を「愛」だと言う。

彼らはそれぞれの犯罪について自分だけが納得できる物語を持っている。そこにあるのは、あくまでも自己中心的な認識だ。自分の犯罪行為を社会や被害者の視点から捉え直すことではない。

その結果、観客は彼らを「人間」として見ながら、その人間が犯した罪を決して見失わないよう強いられることになる。

人はどこまで他人を理解できるのか。
そして、理解することと許すことは同じなのか。

Downstate』が突きつけるこの問いを、最も切実な形で体現するのがアンディ(ティム・ホッパー)だ。

30年前に自分を性的に虐待したピアノ教師フレッドと対峙するため、アンディは妻のエム(サリー・マーフィー)とともにグループホームを訪れる。幼少期に受けた性被害によって人生を大きく狂わされたアンディは、いまでは結婚し、子供もいる。しかし、その子が成長するにつれ、自分自身が受けた性被害の記憶が再び彼を苦しめるようになった。

そのアンディがフレッドに、自分にした性加害を全て認めさせようとするシーンがある。このシーンの緊張感が凄まじい。

フレッドは、生徒だった少年たちの身体をまさぐった行為を認め、反省を口にする。だが、加害者であるフレッドにとっての過去と、被害者であるアンディにとっての過去とは、同じ出来事でありながら決して同じものではない。

さらに、その場にいるディーが、フレッドとアンディの過去に自分自身の歪んだ物語を重ねようとする。

観客はアンディの側に立ちながらも、一瞬、何を信じればいいのか分からなくなる。
同時に、自分の行為を開けっぴろげに正当化するディーに嫌悪感を抱き、自分の罪を認めるフレッドに安堵しようとする。

しかし、その安堵は許されない。フレッドの穏やかな物言いと振る舞いの下に隠されている冷たい何かがそれを阻むのだ。

このフレッドを演じるギナンと、ディーを演じるフリーマンの演技が素晴らしい。ギナンは穏やかな物腰の奥にある冷たさを、フリーマンは自分自身に言い聞かせるようなディーの危うさを滲ませる。

Francis Guinan and K. Todd Freeman in Downstate, Photo by Joan Marcus
Francis Guinan as Fred and K. Todd Freeman as Dee in Downstate,
Photo by Joan Marcus

Downstate』は、単純な加害者と被害者の対立から、さらに複雑な場所へと観客を連れていく。

加害者を人間として見ることは、彼らを無罪にすることではない。
彼らを理解することは、彼らを許すことでもない。
それでも、彼らが人間であるという事実を消すこともできない。

私はこの作品を観ながら、若い頃に刑事弁護士のもとで働いていた時期のことを思い出した。ある凄惨な事件の膨大な裁判記録を弁護士と二人で整理していたとき、私はいつの間にか、被告人を自分たちとは異なる存在であるかのように話していた。

すると弁護士がこう言った。

「この恐ろしいことをしたのも、私たちと同じ人間なんだよ」

その言葉に私はハッとした。犯罪を犯した人間を「自分たちとは違う存在」と考えてしまえば、その人間を遠ざけることができる。けれど、どれほど理解できない罪を犯したとしても、その人間が人間でなくなるわけではない。

もちろん、それは罪を赦すことでも、被害者の傷を軽く見ることでもない。

若かった私は、その仕事を通じて、人権とは自分が好ましいと思う人間のためだけにあるものではないと学んだ。むしろ、自分には到底理解できず、決して許せないと思う人間の人権を認められるか、そこにこそ人権という考え方の本当の意味があることを学んだ。

Downstate』を観ながら、私はあのときの言葉を思い出した。

本作は、性犯罪者に同情や共感することを求めているのではない。むしろ、彼らを「モンスター」として切り離すのではなく、一人の人間として見ることから逃げるな、と突きつけてくる。

そして、この「人間として見る」ことこそが、本作が観客に強いる最も困難なことなのだ。

刑罰を終えた人間を、私たちは社会の一員として受け入れられるのか。
被害者にとって、正義とは何なのか。
赦しとは、誰のためにあるのか。

Downstate』は、これらの問いに答えを用意していない。

だからこそ、観客の中には、加害者への嫌悪と、それでもなお彼らを一人の人間として見てしまう感覚、そして被害者への共感が、互いを打ち消すことなく残り続ける。

この居心地の悪さから、簡単には逃げられない。

Downstate
Playwrights Horizons
416 West 42nd Street (between 9th and 10th Avenue), New York, NY, USA, 10036
オフィシャルウェブサイト
上演時間:2時間25分(インターミッション含む)

プレビュー開始:2022年10月28日
オープン:2022年11月14日
クローズ:2023年1月7日 

By: Bruce Norris
Director: Pam MacKinnon
Producer: Playwrights Horizons
Lighting: Adam Silverman
Sound: Carolyn Downing
Design: Todd Rosenthal
Costume: Clint Ramos
Cast: Glenn Davis (as Gio), K. Todd Freeman (as Dee), Francis Guinan (as Fred), Tim Hopper (as Andy), Eddie Torres (as Felix), Susanna Guzmán (as Ivy), Sally Murphy (as Em), Gabi Samels (as Effie)

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