恐怖と自主規制が殺す自由と正義
★★☆☆☆
第二次世界大戦後、同盟国だったアメリカとソ連が徐々に対立を強めていくと、アメリカ国内ではそれまで若者に理想的な思想として人気だった共産主義思想が危険視されていく。
1946年、もともとクー・クラックス・クラン(KKK)を調査するはずだった下院非米活動委員会は、「KKKは古くからあるアメリカの組織だから」と調査の対象を共産主義思想に変更。合衆国に忠実ではない共産主義者が政府の転覆を目論んでエンターテインメント業界に潜んでいるという疑いからハリウッドの調査を開始し、翌年には300人以上の映画人が共産主義者の疑いをかけられた。
「共産党に入党しているか、あるいはしたことがあるか? 反政府的な人間の名前を挙げよ」
こんな質問で委員会に協力するよう迫られる中、公聴会に喚問されながらも一切の協力を拒んだ映画人が10人いた。
ハリウッド・テンと呼ばれる人たちだ。

ジェイ・ローチ監督映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(Trumbo )は、このハリウッド・テンの中でも最も有名な、脚本家ダルトン・トランボの1947年から1960年までを描いたドラマである。
1947年、トランボは脚本家としてハリウッドで大成功し、スタジオから最高の給料をもらって家族と裕福な(つまり共産主義よりも資本主義を謳歌しているような)暮らしをしていた。
だが、活発に労働運動をしていたトランボは、赤狩りがハリウッドで始まるやいなや調査対象になる。やがて下院非米活動委員会に喚問されるが、合衆国憲法修正第一条で保障された表現の自由を根拠に証言を拒み、その結果議会侮辱罪で有罪となる。
刑期を務めて出所したものの、ハリウッドのブラックリストに名前を載せられ仕事がない。そこで、脚本家の政治信条など気にせず質より量でB級映画を作るキング・ブラザーズのために偽名で脚本を書きながら、賢く、用心深く立ち回り、ブラックリストを打ち破って表舞台に復活するのをじっくりと待つのだ。

才能と信念と不屈の精神を武器にハリウッドのブラックリストと戦うヒーローを描いたこの映画、描く物語の割にはハラハラドキドキとワクワクがあまりない。
それは、実際にヒーローが戦っている最大の敵が「愛国主義者」のゴシップコラムニストに矮小化されているせいもある。しかもその敵を打ち負かした時に悪者が食らう敗北の表現がちっぽけで、せっかくヒーローが勝利したというのに観客は高揚感を得られないのだ。
映画にはトランボがブラックリストについて実際に話した有名な言葉「悪者やヒーローや聖者などいない。皆が犠牲者だった」(注)が引用されているので、この言葉通りに映画を描こうとしたのかもしれない。だが結果としてどっちつかずの中途半端な仕上がりになってしまった。
また、トランボを夫や父として丁寧に描こうとして、却ってフォーカスがボケて取り散らかった感もある。
偽名で書いた『ローマの休日』(Roman Holiday)や『黒い牡牛』(The Brave One)でアカデミー賞を受賞しながらも、それを世間に知らせることができなかった天才脚本家の話だというのに、ブルース・アレクサンダー・クックの伝記Dalton Trumbo『ダルトン・トランボ』を脚色したジョン・マクナマラの脚本はまとまりがなくテンポが悪い。

役者はそれぞれの力を発揮している。
特に、トランボを演じるブライアン・クランストンは、自分の理想を実現するためには言葉を駆使して相手を操る封建的で複雑なトランボに人間的な温かみを加味し、この役で今年のアカデミー賞にもノミネートされた。
また、トランボの敵のゴシップコラムニスト、ヘッダ・ホッパーを演じるヘレン・ミレンは派手な帽子をかぶってスクリーンに登場するたびに圧倒的な求心力で観客をひきつける。
トランボを支援しながらもその後裏切ることになる俳優エドワード・G・ロビンソンを演じたマイケル・スタールバーグも、トランボを支える妻クレオを演じるダイアン・レインも、トランボの長女ニコラを演じたエル・ファニングもそれぞれに輝きを見せるし、ジョン・グッドマンはキング・ブラザーズの一人、フランク・キングをコミカルに演じて笑いを誘う。

だが、役者が良くても物語の運びまでは助けられない
ダイアン・レインのクレオはほとんど活躍の場を与えられないせいで、せっかくの光るシーンも逆に唐突感を残してしまう。
ルイ・C・Kは実際のハリウッド・テンの数人を合成した架空キャラクターを演じるが、トランボを引き立てるための便利なマルチ脇役になってしまった。
物語のテンポが良くなり、映画に活気とワクワクが出てくるのはカーク・ダグラス(説得力あるディーン・オゴーマン)が登場する頃。
だがそれまではじっと、まるでトランボが復活のチャンスを待っていたように辛抱強く待たなくてはならないのだ。

赤狩りをテーマにした映画はこれまでにも何本も作られてきた。
ロバート・デニーロが主演したアーウィン・ウィンクラー監督の1991年の映画『真実の瞬間』(Guilty by Suspicion)や、ジム・キャリー主演、フランク・ダラボン監督の2001年の映画『マジェスティック』(The Majestic)。
2005年にジョージ・クルーニーが監督・脚本・出演した映画『グッドナイト&グッドラック』(Good Night,and Good Luck)は、TVジャーナリストのエドワード・マーロウがマッカーシズムと戦う様を描いた秀逸な映画だ。
赤狩りを魔女裁判になぞらえたアーサー・ミラーの芝居『るつぼ』(The Crucible)も、1996年にダニエル・デイ・ルイスとウィノナ・ライダー主演で映画化され、アカデミー賞にもノミネートされた。
だが、ハリウッドの歴史の中でも最も恥ずべき汚点と言われているハリウッド・テンとブラックリストをダイレクトに描いた映画はこれまでになく、それを題材にした本作の出来が鈍いというのはなんとも残念。

ヒステリックな赤狩りが社会にはびこる時代、ハリウッドは「思考を罪とみなす」という弾圧に抗わず、自らブラックリストを作って「自主規制」することで自分の身を守っていた。それが結果としてより多くの恐怖を人々の心と業界に呼び込み、自分で自分の首を絞めることになった。
第32代大統領のフランクリン・D・ルーズベルトは1933年の就任演説で「我々が恐れなくてはならない唯一のものは、恐れそれ自体である」( Only thing we have to fear is fear itself.)と述べた。
恐れから自主規制することがもたらした恐ろしい歴史をこの映画でもっとしっかり描くこともできたのに、そう残念に思いつつ、ふと権力を監視する役目のマスコミが権力から叩かれることを恐れて積極的に自主規制する日本を見て、この映画が今、日本で公開されていることを素直に喜ぶべきかもしれないとも思う。
拍手喝采する出来ではなくても、実際に起こった物語が持つパワーがこの映画を必ず見るべき1本にしていることは間違いがないのだから。
All Photos © Bleecker Street Films
注:”The blacklist was a time of evil…no one on either side who survived it came through untouched by evil…[Looking] back on this time…it will do no good to search for villains or heroes or saints or devils because there were none; there were only victims.”
Trumbo (『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』)
MPAA Rating: R
上映時間:2時間4分
監督:ジェイ・ローチ
脚本:ジョン・マクナマラ
原作:ブルース・クック『Dalton Trumbo』
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、エル・ファニング、ヘレン・ミレン、ルイ・C・K、マイケル・スタールバーグ、ジョン・グッドマン、ディーン・オゴーマン
2015年11月6日全米公開
USオフィシャルウェブサイト
2016年7月22日日本公開
日本オフィシャルウェブサイト
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