Movie Review: Hachi: A Dog’s Tale『HACHI 約束の犬』

東京の渋谷駅に銅像がある「忠犬ハチ公」と言えば、主人亡き後10年近く、毎夕駅で主人の帰りを待ち続けて死んでしまった秋田犬ハチのこと。

多分、日本では一番有名な犬だろう。

そのハチの物語は1987年に『ハチ公物語』として映画化され、日本国内で大ヒットした。主演は仲代達矢と八千草薫。新藤兼人が原作・脚本、神山征二郎が監督した映画だ。

2006年にはテレビドラマにもなったらしい。

テレビドラマのほうは見ていないものの、随分昔に見た映画の方は、八千草薫が「もう待たなくていいのよ」と包み込むような暖かさでハチに話しかけるシーンが未だに記憶に残っている。

あれから12年。

今年の8月8日の「ハチ」の日に、リチャード・ギア主演、ラッセ・ハルストレム監督の『HACHI 約束の犬』(米仮題Hachiko: A Dog Story)が日本で公開された。

『ハチ公物語』のハリウッド版リメイクだ。

この映画を観終わって、先月、映画のプロモーションのために来日したリチャード・ギアが記者会見で言っていたこんな話を思い出した。

この映画で僕たちが撮影したのはほとんど全てが犬なんです。

最初からこれは明確だったんですが、この映画は僕の映画ではなく、犬の映画なんです。

この映画で僕は明らかに第二級ですからね。

12時間ずっと犬の撮影をし続けて、もうすぐ暗くなる、あと10分くらいしかないって時にようやく僕のシーンの撮影が始まるんですよ。

ギアの演技が第二級とは思わないが(あの、犬に飛びつかれて見せる嬉しそうな表情は演技ではないはず! つまりそう思わせるほどの演技なのだ!)、彼が記者会見で語ったこの話に潜む、徳川綱吉風とも言えるお犬様第一主義は、出来上がった映画に現れていたように思う。

犬のドラマを第一にする分、人間のドラマとキャラクター造型がお粗末にされてしまったのだ。

それを説明するにはストーリーの細かいところにまで触れねばならないが、ハチ公物語の結末に今さらネタバレなんて無いだろうからこのまま突っ走ってしまおう。

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映画の舞台は1920年代の東京渋谷から、現代の合衆国ロードアイランド州の架空の街、ベッドリッジ(注1)に移る。

駅で迷子の仔犬を拾った大学音楽教授のパーカー(ギア)は、駅員(『プリティ・ウーマン』のジェイソン・アレクサンダー)に「落とし物」を届け出る。

しかし駅員が「はい、そうですか」と生きた動物をあっさり引き取るはずもなく、結局仔犬はパーカーが家に連れて帰ることになる。

ところが、パーカーの妻ケイト(ジョーン・アレン)は仔犬を家の中に入れることに反対する。しかも、観ているこちらが「なぜそこまで?」ととまどうくらいに。

果たして、仔犬は凍えるロードアイランド州の寒空の中、庭に建てられた隙間だらけの掘建て小屋で寝るハメになる(動物愛護協会のロードアイランド支部が知ったらパーカーに抗議するはずだ)。

観る者としては、ケイトの不可解な冷たさのワケが気になる。そしてきっとそのワケは後で語られるはずだと期待する。

だが、それは期待外れに終わる。

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パーカー夫婦にはアンディという娘がいて、どうやらその他にもルークという家族がいたらしい。だが、ルークは猿の縫いぐるみがお気に入りで、一家とはもう一緒に住んでいないということ以外、説明がない。

パーカーとハチの絆の深さにほだされたケイトは、やがてハチを飼わざるを得ないと悟るが、その後もハチに対してさほど愛情を見せない。いたいけな仔犬を寒空の下、外に放り出した理由は一向に解明しないのだ。

物語が進み、パーカーが死ぬ。ケイトは家を売って他所に引越し、ハチは娘夫婦が引き取ることになる。だがハチは、お約束通りそこを逃げ出してベッドリッジ駅に向かい、駅でパーカーが帰ってくるのを待つ。

アンディ夫婦はハチを駅で見つけて連れて帰るが、その後アンディもまた、ハチに対してあるびっくりするような行動をとる。だが、その行動の動機がしっかり描かれないせいで、見ているこちらはギョッとしてしまい、思わず「そ、それでいいの?」とあっけにとられる。

むしろ、あの母にしてこの娘ありと言いたくなるような行動だ。

そしてハチは、ケイトでもなくアンディでもなく、ベッドリッジ駅周辺で生活を営む人たちに世話されながらパーカーの帰りを待ち続け、10年が経過する。(この年月の経過の描写も少々陳腐だ。)

パーカーが亡くなって10年目の命日、亡き夫の墓参りをしたケイトはベッドリッジ駅を通り、そこでハチがずっとパーカーを待ち続けていることを知って驚く。

だが、驚いたのはむしろ映画を観ているこちらの方だ。

彼女はハチがどうなったのか知らなかったどころか、気にもかけなかったというのか?

娘夫婦を含め、馴染みの駅員も、彼女にハチのことを話さなかったのか?

ハチのことを書いた新聞記事も読んでいなかったのか?

まさか彼女はこの10年間一度も墓参りをしなかったということか?

それともいつもハチが居ない時にだけこの駅を使って墓参りしていたのか?

なんだかすっかりシラけてしまう展開で、まさにギアの言う通り、この映画できちんと描かれているのは犬のみ。人間描写は二の次で、細かい部分など三の次ということを思い知らされてしまった。

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だが、ギアの言葉は別の意味でも正しい。

ハチを演じるそれぞれ年齢の違う三匹の「役者」たちはどれも素晴らしい演技をし、見ているこちらに人間が考えていることなどどうでも良いという気にさせるのだ。

特に、年をとって傷ついたハチを演じるワンコの表情は、悟りを開いたかのように落ち着いた重々しさを見せてスクリーンから目が離せない。

この犬たちの演技を見られるだけで、この映画は十分価値が有る。

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映画には、ご丁寧にもモノクロっぽい「犬の視線」映像が時折挿入され、観客がハチの心理をきちんと理解できるよう念を押している。

映画の冒頭、ハチは日本のある寺院からアメリカに送られるのだが、送り主である寺院の坊主は、仔犬のハチをまるでスズムシを入れるような竹細工(多分)のカゴに入れ、古式豊かなぺらぺらの紙切れ1枚の荷札を針金で結わえて送り出す。

なるほど、寺の坊主らしくお経を唱えて「無事に犬が宛先に届きますように」と祈ってはいるが、ハチもおそらく不安に思ったのだろう。スズムシのカゴの中から外を見るハチの視線が観客に見せられるのだ。(しかし、その後に続く「ハチの視線」とは異なり、この冒頭の「ハチの視線」だけはカラーなので、仔犬のハチと一緒にカゴに入っていたスズムシの視線なのかもしれない。)

正直に言うと、何度も挿入されるこの「ハチの視点」は陳腐だ。

だが、この陳腐な映像が、クライマックスで描かれるある映像のための入念な準備だったことに気づいた時、わたしの両の目からは涙があふれ出て止まらなくなった。

その涙とともに、今まで頭の中にもやもやと渦を巻いていたこの映画のたくさんの欠点が流されてしまう。

そしてあることに気がついたのだ。

そうか! この映画は、人間と犬を主人(=パーカー)と従僕(=ハチ)という関係で描くのではなく、対等のパートナーとして描いているのか! ハチにはパーカー以外の人間なんてどうでもいいのだ!

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作り手の狙い通りにおめおめと泣かされたわたしは、それに気がついて泣き笑いしながら、ハチ公の物語が持つパワーを思い知ったのだった。

Photo © Consolidated Pictures Group

注1:撮影はロードアイランド州のWoonsocket駅で行われた。撮影時の様子はこちらで見られる。

『HACHI 約束の犬』(Hachi: A Dog Story)

監督:ラッセ・ハルストレム
脚本:スティーヴン・P・リンゼイ
出演:リチャード・ギア、ジョーン・アレン、ジェイソン・アレクサンダー、ケリー・ヒロユキ・タガワ

2009年8月8日日本公開
2009年12月18日アメリカ公開

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