リズ・アーメッドが変化を求める映画の中のムスリムの表現

昨日、Twitteを見ていたら、リズ・アーメッドが短い動画をアップしていた。

この2年ほど大学と一緒に研究をしていて、後ほどそれについて重要な発表をするという予告だった。

先日起きたカナダでの痛ましい事件とも関連していると言い、著名な映画人やノンプロフィット団体と一緒にやっているという。

一体なんだろうなと思っていた数時間後、IndieWireに「New Riz Ahmed-Backed USC Study on Muslims in Popular Movies Tells a Troubling Tale」(「リズ・アーメッドが後援するUSCの新研究、ポピュラー映画の中のムスリムが語る深刻な物語」)という記事があるのを見つけた。

なんでもUSC(南カリフォルニア大学)のAnnenberg Inclusion Initiativeの研究をリズ・アーメッドがフォード財団、ピラーズ・ファンドとともに支援したらしい。

USCは映画学では全米のトップで、ジョージ・ルーカスの母校としても有名だ。そのUSCのAnnenberg Inclusion Initiativeはこれまでにも業界で主流から外されたマイノリティグループについての研究を発表しており、今回は人気映画の中のムスリムに焦点を当て、 ‘Missing & Maligned: The Reality of Muslims in Popular Global Movies‘ というタイトルの研究を発表したのだ。

2017〜2019年にアメリカ、英国、オーストラリア、ニュージーランドで公開された映画の興行成績トップ200を選び、それぞれの映画の中でイスラム教徒がどのように表現されているか(あるいは表現されていないか)について、量的にも質的にも詳細に分析した研究である。

研究によると、200本の映画の中でセリフを話すキャラクターは全部で8965なのに対し、ムスリムが占める割合は1.6%で、全200本のうち90.5%に当たる181本の映画でセリフのあるムスリムのキャラクターが一人も登場しないという。

MISSING & MALIGNED: THE REALITY OF MUSLIMS IN POPULAR GLOBAL MOVIES
©︎ ANNENBERG INCLUSION INITIATIVE
MISSING & MALIGNED: THE REALITY OF MUSLIMS IN POPULAR GLOBAL MOVIES
©︎ ANNENBERG INCLUSION INITIATIVE

メインあるいはサブキャラクターでムスリムなのは41役だけ。その53.7%が暴力の被害者となり、39%が暴力の加害者となる。そして19%(8人に5人)が映画の終わりまでに暴力が原因で死んでしまう。

MISSING & MALIGNED: THE REALITY OF MUSLIMS IN POPULAR GLOBAL MOVIES
©︎ ANNENBERG INCLUSION INITIATIVE

世界の人口の約4分の1を占めるムスリムは、メインストリームの映画の世界では全く存在していないか、存在していても危険なステレオタイプ的な描かれ方をしていていることをレポートは示していた。

他にも登場するムスリムはほぼ男性で若い女性はほとんど登場しないことなど、ジェンダーや年齢、LGBTQや障害の有無についての詳細な分析結果が記載されている(興味がある人はここでレポートの閲覧とダウンロードが可能)。

映画の中でのマイノリティの描かれ方は近年問題視されているのでいろんな数字を見てきたが、それにしてもすごい数字だ。

だがアーメッドがTwitterで予告していた重要な発表というのはこの悲惨な現状にスポットライトを当てた研究のことだけではなかった。このような映画の中でのムスリムの表現をどうやって改善するか、その解決策までしっかり用意していたのだ。

今回の研究をサポートしている団体の1つのピラーズ・ファンドは、USCの研究が示したこの現状を解決するためのブループリントを発表し、さらにアーティストを対象にしたフェローシップ制度を作った。

Pillars Artist Fellowshipというこのフェローシップ制度は、米国と英国のムスリムの駆け出しアーティストに25,000ドルの助成金を出し、彼らがキャリアを築くのを支援するという。

初年度はまず映画監督と脚本家に焦点を当て、いずれは文学や音楽やビジュアルアーツの分野にも支援を広げていく計画だ。(ピラーズ・ファンドのブループリントとフェローシップ制度の詳細についてはこちら。)

リズ・アーメッドはこれまでも2017年の英国議会でのスピーチや、TVでのインタビュー、今年のアワードシーズンでの『Minari(邦題:ミナリ)』に主演したスティーブン・ヨンとのオンライン対談で、リプリゼンテーション(representation =有名人や政治家、あるいは映画やTVドラマなどの創作物に登場するキャラクターの中にマイノリティに属する人がいること)の大切さを語り、映画業界でのマイノリティの現状を改善したいと語っていた。

さすがアーメッド、やはりすごいことをしたもんだ。

そう感心しながら翌日もTwitterを見ていたら、スクリーン上のムスリムのキャラクターの描かれ方にうんざりしたというアーメッドが、1分半ほどの動画を新たにツイートしていた。

「例外がルールを変えることはない」と話す動画は抜粋で、フルバージョンがYouTubeにあるとリンクもついている。

なので早速そちらに飛ぶ。

全部で14分足らずの動画はどうやらUSCの研究とピラース・ファンドのフェローシップを紹介するためのイントロダクションのようで、アーメッドはピラーズ・ファンドのフェローシップ対象となる米国と英国の若きムスリムの映画人に直接語りかけているようだった。

その内容があまりにも素晴らしかったので、たとえフェローシップの対象でなくても、映画とテレビドラマを愛する人全てにこのフルバージョンを見てもらいたくなった。

フルバージョンの動画は以下に埋め込んでおくが、YouTubeに飛んで見ると設定で英語字幕も出せるし、自動翻訳機能をオンにすればだいたいの意味が拾える日本語字幕もつけられるのでオススメだ。

でも動画を見るのが面倒な人のために突貫工事の雑な仕事ではあるが、スピーチ全文の拙訳を下につけておこう。

英国英語に慣れていないので一部よくわからない部分があって正確さに欠けるとは思うが、自動翻訳よりは多少マシだろう。

リプリゼンテーションの大切さについての彼の熱い思いが少しでも伝えられたら幸いだ。

Embed from Riz Ahmed YouTube Official Channel

Muslim Misrepresentation in Film

リズ・アーメッドのスピーチ全訳

さて、まずはなぜ私がここにいるか、なぜあなたがここにいるか、なぜこの問題が重要なのかについて少し説明しよう。その後で南カリフォルニア大学(USC)のチームがスクリーンでムスリムが歪められて表現されていること(misrepresentation)について何が問題なのかを話してくれるだろう。さらにその後、ピラーズ・ファンド(Pillars fund)のチームが、この問題をどうやって一緒に乗り越えていくかについて話すだろう。これは乗り越えられることで、すぐにでもできることがたくさんある。

自分がなぜここにいるのか、ここで何をしているのかというのは、実を言うと自分に問うていることでもある。その問いに対してはちょっとした逸話を交えながら答えていこうと思う。

私が初めて出演した映画は『The Road To Guantanamo(邦題:グアンタナモ、僕たちが見た真実)』という作品だった。これはちょっとした夢のような仕事で、それというのも即興的な演技とパンクなドキュドラマ作家マイケル・ウィンターボトムという組み合わせ、しかも世界の真実について語る作品だったからだ。

映画はキューバのグアンタナモ・ベイで3年間不法に拘束されて拷問を受けていた、私と同年代の3人の英国人イスラム教徒を描いていて、世の中には危険なプロパガンダや平面的なイスラム教徒の描写が溢れているけど、それに代わる物語の一部になれたと誇りに思った。

この映画を制作した時パキスタン、アフガニスタン、イランを旅したんだけど、TSA(運輸保安局)の係員が言うところのこの「悪の枢軸国への世界旅行」が原因で、空港で厄介なことになってしまった。

でも、行ってみることをお勧めしますよ。素晴らしい国だし、素晴らしいもてなしで歓待してくれる。

ともかく何が起こったかと言うと、この映画を作ってベルリン映画祭に参加した。グランドパレスではスタンディングオベーションが起こり、ベルリンで銀熊賞を受賞した。イギリスに戻ったときはヒーローとして迎えられるものと思っていた。

ところが手荷物受取所を通過するとき、身分を明かさない係員に声をかけられ、標示のない部屋に無理やり連れて行かれてそこで嫌がらせを受けた。一人ずつ離され、腕が折れそうになるくらい締め付けられた。彼らは私が持っていた携帯電話を奪い取り、番号を書きとめ、私の顔を見て笑ったり、顔に指を突き立ててこう言った。「おまえはイスラム教徒の闘争を促進するために俳優になったのか?」と。

ええ? もちろん違う。
俳優になったのは演技が好きだからだ。
俳優になったのは、自分のアイデンティティによって定義されたくないからだ。
一人ひとりの内面にはありとあらゆる人がいると信じているし、自分は誰にでもなれるようになりたいからだ。

この質問に少したじろいだ。なんというか、あの部屋の中に居たくなかった。ムスリムの闘争の中に放り込まれたくなかった。正直に言うと、気を悪くしないで欲しいのだけど、今だってここにいたいとは思わない。ここでスピーチしなくちゃいけないというのも嫌だし、何年も前の議会でのスピーチ*注1)や、その数年後のCAA Amplifyでのスピーチ(*注2)も嫌だった。

やりたいのは、白人の同業者がしていることを自分もできるようになることだ。ある役を引き受け、その役についてのインタビューを受け、役の合間に次の役の準備をすることだ。役を演じた後にドナルド・トランプの移民政策やイスラム教徒の入国禁止、銃乱射事件や虐殺、モスクや表象についてのインタビューを受け、役の合間に今やってるようなスピーチをする、というようなことはやりたくない。

でも、私がここにいる理由は、イスラム教徒を正しく表現しないことの問題がもはや無視できなくなってきたから。そしてそれは私一人では解決できない問題で、業界にいる一握りの著名なイスラム教徒たちも、皆さんの助けなしに解決できないから。私がここにいるのは、皆さんに助けを求めるため。

構造的な問題に直面すると、個人が成功しても無駄だということを思い知らされる。それがまさに今日私たちが論じていることだ。 今年の4月にオスカーにノミネートされたとき、私はオスカーの主演男優部門にノミネートされた最初のイスラム教徒だった。それはちょっとほろ苦い瞬間で、というのも、このちょっと不確かな栄誉を個人的には感謝の気持ちを持って身につけていたけれど、私のコミュニティは誇りを持って当然の権利と主張したから。ここで言う私のコミュニティとはイスラム教徒のことだけではなく、ガラスの天井が打ち砕かれるのを見たい人は誰でもという意味だけど。

しかし、その感謝の気持ちや彼らの誇りと同時に、私はとてつもない悲しみを感じた。世界の人口の4分の1を占める16億人の中に、今までこの立場になった人が誰もいないというのはどうしてか? 自分に問いかけてみた。もし自分が例外であるなら、私のような人間に課せられたルールとは何なのか? 世界人口の4分の1を占めるイスラム教徒についての不文律はどうあるべきなのか? 私たちが描く物語や文化の中での彼らの居場所、そして私たちの社会の中での彼らの居場所は、もしあるとすればどこなのか?

正直に言うと、これらの疑問が言わば私をぐるぐるとかき乱した。

この後、USCのチームはこの非現実的なルールがどんなものであるかを正確に伝え、Pillarsのチームはそれをどうやって克服するかを伝えてくれるはずで、私はそれが可能だと信じている。

しかし、ここでざっと伝えたいのは「例外はルールを変えるものではない」ということ。むしろ例外はルールを際立たせ、ある意味ルールをそのままにしておくことで満足するよう仕向けてしまうということ。

いつもこんな風に考えていたわけではなく、進歩は直線的で必然的なものだと思っていた。この10年間のアメリカの政治を見てみると、その思い込みがいかに間違っているかがわかる。進歩は直線的なものではなく、必然的なものでもない。

私はいつも「表象の3段階モデル」というのを信じていた。これは、数年前にガーディアン紙に載ったエッセイ(*注3)でも提案したモデルだけど、文化の中でのマイノリティグループの表象は次の3つの段階を経る、というものだ。

「ステレオタイプ」 が第一段階。
「ステレオタイプの打破」が第二段階。
そして「約束の地」が第三段階。

詳しく説明しよう。

第一段階は私が演技を始めたときからやりたくなかったもの。「アラー・アクバル」と祈って自爆テロして見せるようなオーディションの会場には行かないと決めていた。戯画的で平面的な表現、『シンプソンズ』のアプーのような役。オーディション会場に行くと、誰もが自分と似た顔をしていて、誰もがその場にいたくないと思っていて、誰もがテロ容疑者の役を押し付けられるような状況。それが第一段階。

第二段階は私がキャリアの初期に多く手がけ、自分でも誇りに思っている作品。例えば『Four Lions』や『Road to Guantanamo(邦題:グアンタナモ、僕達が見た真実)』『The Reluctant Fundamentalist(邦題:ミッシング・ポイント)』で、『The Night Of(邦題:ザ・ナイト・オブ)』ですらそう。第二段階でのステレオタイプの打破は、文化的に特殊な政治的状況、たいてい9.11以降の状況の中で描かれるけど、実際には平面的で戯画化されたステレオタイプと戦っている。

そして、私のキャリアが約束の地である第三段階に進むと、『Sound of Metal(邦題:サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~)』のルーベン・ストーンや『Star Wars』(*注4)のボシ・ルック、『Venom(邦題:ヴェノム)』のカールトン・ドレイクなどを演じることができた。非イスラム教徒の役やあからさまにはイスラム教徒でない役だったこともある。「やったぞ、我々は約束の地に到着したぞ」と思ったけど、私たちが約束の地に到着したわけではなかった。私が特別な狭い世界にいたんだ。

そして、私のキャリアが変わっても、空港での経験は『グアンタナモ、僕達が見た真実』の後のルートン空港での経験より良くなることはなかった。実際、私の空港での経験は初期のオーディション会場と似たような状態が続いていた。ただ居るのはオーディション会場ではなく取調室で、皆私と似たような顔をしていて、誰もそこにいたいとは思わず、誰もがテロ容疑者の役を押し付けられる。

今、この約束の地にいるのは一握りの人間だ。文字通り一握り。片手で数えられるのだから。この業界で著名なイスラム教徒の多くが、今日発表する解決策の1つを立ち上げるために協力してくれるということで、私は興奮している。でも約束の地は孤独な場所だ。もし、自分以外の他の多くの人々がある種の地獄に留まざるを得ないのであれば、それは空虚な場所だ。もしスクリーンに映し出されるイスラム教徒の描写のほとんどが、存在しないか、あるいはステレオタイプ的で有害な薄っぺらい描写に凝り固まっているのであれば、私たちのうちの数人が進歩を成し遂げたからと言って全体的な進歩の絵を描いたことにはならない。私たちのうちの何人かは皆さんの助けを借りつつナタで下草を切り開いて道を進むことができ、それにはとても感謝している。でも、さらに多くの人が私たちの通った跡にウルシを植えている。

例外がルールを変えることはない。『Silicon Valley(邦題:シリコンバレー)』でのクメイル・ナンジアニの例外的に素晴らしい仕事ぶりの横で、同じネットワークのHBOは『Homeland(邦題:ホームランド)』を5シーズン用意した(*注5)。巨大な看板にはブルカの恐ろしい海の中で迷子になったクレア・デインズが描かれた。

マハーシャラ・アリの例外的なオスカー受賞と並んで、『American Sniper(邦題:アメリカン・スナイパー)』『The Hurt Locker(邦題:ハート・ロッカー)』『ARGO(邦題:アルゴ)』のような率直に言って人種差別的な映画にもオスカーの称賛とノミネートが与えられた。これらの映画はイスラム教徒から人間性を奪って悪魔のように描き、イスラム教徒は暴力の加害者あるいは被害者としてだけ興味深いキャラクターで、共感するに値しない、あるいは共感できないものとして描いている。

ラミの例外的に素晴らしい番組と並んで、アマゾンには『The Boys(邦題:ザ・ボーイズ)』がある。これは私も大好きでビンジウォッチした現代的な番組で、多くのキャスト、多人種、多種族、中には半人半魚までいる。でもこの番組の途中、イスラム教徒が初めて、そして唯一、飛行機をハイジャックするために登場したとき、どんなに腸が引き裂かれる思いをしたことか。あ、実は最初のシリーズの最後にもう一度イスラム教徒が登場するけど、人を自爆させる超能力があるスーパーヴィランとして出てくる。

一体何が起こっているのか?

これが他のマイノリティグループに起こったとしたら許されないことだ。『Black Panther(邦題:ブラックパンサー)』は 近年の文化の中でも最も進歩的なメインストリーム映画だが、この映画を想像することができるというのは一体何を意味しているのか? この映画でさえ、冒頭、イスラム教徒がテロリストとして現れ、女子学生を誘拐し、そして映画から消えていく。これは私たちの想像力の欠如を示しているのか? 半人半魚を素直に想像できるのに、イスラム教徒についてはそういう有害な比喩表現の中でしか考えられない。これが他の人種や民族、宗教グループであれば問題だ。例えば、強力な黒人の主役が2人いるから、残りは完全に人種差別的にしようとは考えない。でも率直に言って、これが現実だ。

私たちは、昔のミンストレルショーを見るような恥ずかしさと悲しみをもって、この誤った表象の時代を振り返ることになると思う。これは変えなければならないことであり、私たちだけでは変えられないことだ。これは構造的な問題だ。レーガノミクスもなければ、個人の成功によるトリクルダウンもない。抑圧されている人と抑圧している人が、自分が抑圧者であることを自覚しているか否か、あるいは印象操作に加担していることを自覚しているか否かにかかわらず、手を取り合って目を開き、具体的な手段を講じることを厳粛に約束することで、ルールは書き換えることができる。それが、ストーリーテリングの門番である私たちの責任だ。

だからこそ、私はここにいるし、皆さんもここにいて、皆さんの助けを求めているんです。この問題がなぜ重要なのかを率直に言うと、こういう誤った表現のせいで現実世界が代償を支払うことになるから。その代償は、語られなかった物語が持っていた可能性の損失や、語り部の果たせなかったキャリア、観客の損失といった形で測られる。そして、命の損失でも測られる。

人々があるマイノリティグループについて知らない場合、スクリーン上でどう表現されているかがとてつもなく大きな影響を及ぼすことを我々は知っている。アメリカ人の62%は1人もイスラム教徒を知らない。この後ステイシー・スミス博士のレポートが示すように、ドナルド・トランプがイスラム恐怖症キャンペーンを背景に大統領選挙に勝利し、渡航禁止令を可決することになったのは、悲劇的にも計算してみればわかることではないか? ニュージーランドの学校銃乱射事件に至ったのも、計算してみればわかったことではないか? 今週カナダで起きたある家族の3世代にわたる虐殺事件、9歳の子1人を残して両親、祖母、15歳の娘が殺された事件に行き着いたのも、悲劇的にも計算してみればわかったことではないか?

これは、イスラム教徒を非人間的に、そして悪魔のように描いてきた結果だ。ピラーズ・ファンドのカシフ氏が私に話してくれた。人はある日突然目が覚めたらイスラム教徒を憎むようになるわけではない、と。彼らはある物語を信じている。私たち自身がその物語を見つめ直し、どこでその物語に加担しているのかを問わなければならない。イスラム恐怖症の産業は、その代償を血で測る産業だ。こういう歪められた表現の中でも最も油断ならないものは、それが自分自身に対して疑問を持たせてしまうやり方だ。だからこそ、MI5の捜査官が「イスラム教徒の闘争を促進するために俳優になったのか」と訊いときにたじろいだのだと思う。そんな風に描かれたくない、そんな人になりたくない、イスラム教の広告塔になりたくない、と思ったのだ。でもこの質問に立ち返って考えてみると、私が俳優になったのは、共感と尊厳をもって見られ、描かれ、物語や文化の中に登場する他のどのキャラクターとも同じように、完全な人間として見られるためだったのかもしれない。もしかしたら、それはストーリーテラーとしての我々皆の闘いで、私たちはすべての人に共感と人間性を与えようとしているのかもしれない。それが、皆さんがストーリーテラーになった理由でもあるのかもしれない。

この問題は解決できるし、解決しようとしている。私たちの要求が意志を持てば変化を起こすことができる。私たちには資源があり、想像力がある。今日、このプログラムを立ち上げるために、ムスリム・アベンジャーズとも言えるオールスターチームを用意しました。

オスカーを二度受賞したマハーシャラ・アリ、私、ラミ・ユスフ、『Ms. Marvel』のクリエーターであるサナ・アマナト、オスカーにノミネートされ、BAFTAにもノミネートされたドキュメンタリー映画監督のカリ・アメルとジェハン・ヌジャイム、映画プロデューサーのローザ・アッタブ、『Lady Parts』(*注6)を監督したばかりの映画監督ニダ・マンズール、そしてさらに多くの人々が参加してくれてます。しかし、私たちだけではまだできない。皆さんの協力が必要なのです。

それでは、USCのチームに、この問題の本質とその影響について、わかりやすく説明してもらいましょう。 

*注1:2016年9月に英国議会下院の庶民院でしたスピーチのこと
*注2:CAA Amplifyはハリウッド最大手のエージェンシー、CAA(Creative Artists Agency)が毎年限られた業界人だけを招待して開く業界のカンファレンス。リズ・アーメッドは2019年にここでムスリムが日々経験する差別についてスピーチをし、Variety誌によるとそれが今回の研究とフェローシップのきっかけとなったという。
*注3:2016年9月16日 The Guardian掲載のエッセイ ‘Typecast as a Terrorist‘ のこと
*注4:『Rogue One: A Star Wars Story(邦題:ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー)』のこと
*注5:『Homeland』はHBOではなくShowtimeで放映された全8シーズンのシリーズ
*注6:英国のChannel 4で2021年5月から放映が始まったコメディシリーズ『We Are Lady Parts』のこと。米国ではNBC系列のストリーミングサービス Peacockで6月からストリーミングされている。

Information

Annenberg Inclusion Initiative
Missing & Maligned: The Reality of Muslims in Popular Global Movies‘ (PDF)

Ford Foundation

Pillars Fund
‘The Blue Print for Muslim Inclusion’ (PDF)
Pillars Artist Fellowship