『雨に唄えば』のデビー・レイノルズ、娘キャリー・フィッシャーの死の翌日に他界

ミュージカル映画『雨に唄えば』や『タミーと独身者』で有名な米女優のデビー・レイノルズが、水曜日、『スター・ウォーズ』シリーズのレイア姫役で知られる娘キャリー・フィッシャーが亡くなった翌日に脳卒中のため亡くなった。84歳だった。

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TMZによると、レイノルズは娘フィッシャーの葬儀の相談のため息子トッド・フィッシャーの自宅を訪れていたところ、脳卒中で倒れたという。レイノルズは救急車で病院に運ばれたが、病院で亡くなった。息子のトッド・フィッシャーは、姉の死が母には「多大なストレスだった」と話している。

レイノルズは火曜日、娘フィッシャーの死に際し、サポートをしてくれたファンに対する感謝の言葉をFacebookに投稿したばかりだった。

 

1932年にメアリー・フランセス・レイノルズとして生まれたレイノルズは、1948年にカリフォルニア州のバーバンクで行われたコンテストでミス・バーバンクに選ばれ、審査員をしていた映画スタジオのスカウトの目に止まってワーナー・ブラザーズと契約を結ぶ。その後デビー・レイノルズという名前でミュージカル・コメディ“The Daughter of Rosie O’Grady”(1950)に出演し、映画デビューした。

ジーン・ケリーとドナルド・オコナーと共演した1952年のミュージカル『雨に唄えば』(Singin’ in the Rain)で駆け出しの女優キャシー役を演じて世界中の観客を魅了。その後数々の映画に出演し、同名タイトルのブロードウェイ・ミュージカルを映画化した1964年の『不沈のモリー・ブラウン』(The Unsinkable Molly Brown)ではアカデミー賞にもノミネートされたが、世界中のファンにとってはレイノルズといえば『雨に唄えば』が最も記憶に残る作品だ。

レイノルズは1955年にポップ・シンガーのエディ・フィッシャーと結婚し、娘キャリーと息子トッドをもうけたが、1958年、二人の親友夫妻の夫であるマイク・トッドが飛行機事故で亡くなった後、二人は未亡人となったエリザベス・テイラーを慰めていたが、フィッシャーがテイラーと恋愛関係になって大きなスキャンダルとなった。レイノルズとフィッシャーは1959年に離婚、フィッシャーとテイラーは数週間後に結婚したが、その5年後、テイラーは『クレオパトラ』(Cleopatra)の撮影で知り合ったリチャード・バートンのためにフィッシャーの元を去った。

レイノルズは1973年にリバイバル・ミュージカルIrene『アイリーン』に主演しブロードウェイデビューした。この舞台には娘フィッシャーも出演し、母娘でブロードウェイデビューを果たしている。

1970年代と1980年代には主にラスベガスでのショーに出演していたレイノルズだったが、1990年代には銀幕に復帰し、アルバート・ブルックスの映画Motherやケビン・クライン主演のIn & Outなどに出演した。

また、NBCのシットコム『ふたりは友達? ウィル&グレイス』(Will & Grace)でデボラ・メッシング演じるグレイスの母で大物舞台女優のボビー・アドラー役を演じるなど、テレビでも活躍。2013年にはスティーブン・ソダーバーグが監督したHBOのテレビ映画『恋するリベラーチェ』Behind the Candelabraに出演している。

映画やテレビでの活躍の他、レイノルズはハリウッドの映画に使われた衣装や小道具のコレクターとしても有名で、ハリウッドの映画史をプリザーブするのに貢献した。彼女のコレクションの中には『オズの魔法使い』(The Wizard of Oz)でドロシーが履いたルビー色の靴や、『七年目の浮気』の中の有名な地下鉄の排気口のシーンでマリリン・モンローが着ていた白いドレス、『サウンド・オブミ・ュージック』(The Sound of Music)でジュリー・アンドリュースが弾いていたギターなどがある。

レイノルズはコレクションを展示する博物館を開こうと何度も努力したが失敗し、2011年と2014年にコレクションを手放した。

レイノルズは2015年、SAG Awardsのライフタイム・アチーブメント・アワードを受賞し、娘フィッシャーとともに授賞式に出席した。

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SAG Awardsでのデビー・レイノルズの受賞スピーチ