TV Review: Making A Murderer 『殺人者への道』

背筋が凍るNetflixの新ドキュメンタリーシリーズ

Rating: 5 out of 5.

ある日、警察に逮捕される。
地元名士の妻をレイプした罪だ。
複数のアリバイとともに無実を訴えるが信じてもらえない。
有罪判決が出る。
刑務所に収監される。
18年が経過する。
DNA鑑定で無実が証明される。
釈放される。
ヒーローになる。
自分の名前を冠した新しい法案が可決される。
不当に奪われた18年間の損害賠償を求め、地元警察や検察を訴える。

と、行方がわからなくなっていたフォトグラファー殺害の罪で逮捕される……。

昨年12月18日に全話ストリーミングが始まって以来、全米の話題をさらい続けているのがNetflixの新しいドキュメンタリーシリーズ Making A Murderer (邦題『殺人者への道』)。

「話題をさらい続けている」というのは決して誇張ではない。House of CardsOrange is the New Blackに、マーヴェルのDaredevilJessica JonesMaster of None等々、オリジナル作品で次々とヒットシリーズを出しては様々な層の視聴者を魅了してきたNetflixが、この新しいドキュメンタリーシリーズではジャンルの域を超えたあらゆる視聴者を虜にした。

シリーズを見た者は取り憑かれたようにこの事件について考え、議論し、法執行機関や刑事司法制度について深く憂慮する。アレック・ボールドウィンやリッキー・ジャーヴェイスといったセレブ達がソーシャルメディアで絶賛し、20万人以上がホワイトハウスへの嘆願に署名する。ハッカー集団のアノニマスがこの事件に関する重要な情報掘り出しに着手し、弁護人の一人はファッションアイコンとなる。

公開して1ヶ月が経とうというのにこのドキュメンタリーや事件に関する新しい記事が出ない日はない。

こんな風に人々を虜にしてしまう作品を作り出したのは、弁護士で映画の修士号を持つローラ・リッチャルディと、映画編集のキャリアがあるモイラ・ディーモス。

2005年、冒頭の内容の記事をNY Timesで読んだ二人はすぐさま事件を追いかけ、その後10年の歳月を費やしてこのシリーズを完成させた。

1話1時間全10話。
長編映画5本分に相当する時間で描かれるのは、2005年にウィスコンシン州マニトワック郡で起こった当時25歳のフォトグラファー、テレサ・ホールバック殺害事件だ。

と言うよりも、その容疑者として逮捕、起訴されたスティーヴン・エイヴリーの裁判と、彼の共犯とされた16歳の甥、ブレンダン・ダーシー、そして彼らの家族を描いていると言ったほうが正しい。

Netflix初めての試みとしてYouTubeでも同時公開された一話目では、自動車廃品回収業を営むスティーヴン・エイヴリーとその一族が地元でどんな風に見られていたか、また、一族に対する人々の考えが1985年の逮捕と起訴にどんな影響を及ぼしたか、そして無実の証明と釈放に至るまでの経緯やその間に起こったことと、スティーヴンが警察と検察を被告として3600万ドルの損害賠償請求訴訟を起こした後、彼が殺人事件の第一容疑者になり逮捕されるまでが一気に描かれる。

その後の9話ではスティーヴン逮捕後の家族の様子と波紋、裁判の過程が映し出される。

検察側がスティーヴンに対する証拠を積み上げて彼の有罪を立証し、対する弁護側がそれを反証する。証拠の詳細やその採取方法、警察での取り調べの様子があらわにされ、弁論が示され、陪審員の評決へと繋がっていき、スティーヴンと甥ブレンダンのその後が明らかになる。

一話、また一話と進むごとに、無邪気な視聴者が想像すらしていなかったことが次々に出てくる。
それぞれのエピソードのラストにはハラハラドキドキのクリフハンガー的終わり方が待っている。

緻密に計算された編集で、一話見たら次の一話、さらにその次の一話と、とにかく見るのがやめられない。

通常、この手のトゥルー・クライムものの番組が視聴者に考えさせるのは「誰が犯人か?」という問いだ。ここでも、

  • 犯していない罪で投獄された18年間がスティーヴン・エイヴリーを殺人者に変えてしまったのか?
  • それともまたもや濡れ衣を着せられたのか?
  • もしそうならば誰が真犯人なのか?

という問いが見るものの頭の中を駆け巡る。

だが、クリエイターが一気見させる作品構成で問いたかったのは、実はこれとは少し離れたところにある。

ドキュメンタリーのクリエイターは編集によって見せたいものを見せ、それによってストーリーを浮き彫りにしていくものだが、Making A Murdererが浮き彫りにするのは正しく機能しない法執行機関と刑事司法手続きだ。

そして、これでいいのかと問いかけてくる。

「10人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」という法格言があるが、刑事司法手続において最も避けなくてはならないのは無実の人間を有罪にすることだ。

だが、それがスティーヴンに一度起こった。
なぜか?

どんな人であっても、裁判で有罪が確定するまでは「罪を犯していない人」として扱われなければならない(推定無罪)。
検察側には被告人が有罪であることを合理的な疑いを差し挟む余地なく立証する責任がある(立証責任)が、被告人には自分が無罪であることを証明する責任はない。
従って、どちらかわからない場合は被告人の利益になるように判断しなくてはならない(疑わしきは被告人の利益に)。

それが刑事司法手続きの原則だ。
だが、それが守られていなかったからスティーヴンは1985年に有罪になってしまったのではないのか?

目撃者はちょっとした示唆に簡単に影響され、記憶の塗り替えが起きてしまう。
人は長時間の取り調べに疲れると、やってもいない罪を認めてしまう。

法執行機関には強力な権力があるからこそルールに則って有罪を立証しなくてはならないが、それがなされているのか?
「どうせ悪いやつなのだ」と考えてやしないか?
ひょっとして世の中は「10人の真犯人を逃すよりも、一人の無辜を罰するほうが良い」と考えてやしないか?

このドキュメンタリーは、そんな背筋も凍る疑問を脳裏に浮かばせるのだ。

あるエピソードで、スティーヴン・エイヴリーの弁護人の一人がこんなことを言う。

「我々は皆、自分は決して罪を犯さないと言い切ることができる。だが、罪を犯したと誰かが自分を責めることは決してないと保証することはできない。もしも責められてしまったら、この刑事司法制度の中での幸運を祈るよ。」

ドキュメンタリーでは、警察の取り調べの様子を撮影したビデオや、留置場にいる被告人と外部との電話での会話内容を録音した音声、また、法廷内の公判の様子を撮影した映像が数多く登場する。

取り調べの100%可視化が実現しておらず、公判中の法廷を写真に収めることも録画することもできず、逮捕後の取り調べに弁護人の同席が許されないのが日本の現状。

日本ではさらに幸運が必要かもしれない。

Photo © Netflix

Making A Murderer
Netflix オフィシャルサイト
Netflix Japan オフィシャルサイト
Credits: Written and Directed by Laura Ricciardi and Moira Demos

Making A Murderer オフィシャルトレーラー