Movie Review: Godzilla 『Godzilla ゴジラ』

ハリウッド版Godzillaの第二弾! 主役は遅れてやってくる!

Rating: 3 out of 5.

「役者というのは、演出次第なんだなー」

つくづくそう感じた映画が、5月16日に全米公開されたギャレス・エドワーズ監督のGodzilla(邦題『Godzilla ゴジラ』)だ。

評判がすこぶる悪かった1998年のローランド・エメリッヒ監督版に続く、ハリウッド版ゴジラ映画の第2作目。エメリッヒ版など存在しなかったかのごとく、ゴジラを新たに再起動させた新バージョンである。

主役はもちろん、キング・オブ・ザ・モンスターズのゴジラ。

世界中の誰もが知っているこの超有名怪獣は、自分の名を冠した映画を見に来た観客をたっぷりと待たせ、王の名に恥じない堂々とした姿でスクリーンに御成あそばす。

王様の御成まで前座を務めるのは、おそらく、ゴジラ王が蟻んこ程度にしか考えていないであろう人間のドラマ。そして、ゴジラを蟻んこの生活地域まで引っ張りだすことになった別の怪獣。

Godzilla-1
渡辺 謙とサリー・ホーキンス

1999年、謎の機関MONARCHに所属する2人の研究者、セリザワ(渡辺 謙)とグラハム(サリー・ホーキンス)が、フィリピンの鉱山で放射能を帯びた巨大生物の化石と2つの巨大卵鞘を発見する。

卵鞘の一つは休眠中だが、もう一つは孵った跡がある。しかも、孵ったその謎の生物が地を這って海に潜った不気味な跡まである。

同じ頃、日本のジャンジラ(誰が聞いても架空の街とわかる、なんともキッパリした街の名だ)では、ジャンジラ電力原子力発電所で働くアメリカ人技師のジョー・ブロディ(ブライアン・クランストン)が、フィリピンを震源地とした地震の余波のようなものを探知する。

しかし、地震にしてはその振動が異様に規則正しい。何かがおかしい。すぐに原子炉をシャットダウンしろ!

そう命令するや否や、発電所が大きく揺れ、発電所は壊滅。何人もの人間が命を落としてしまう。
ジョーの妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)もその一人だった。

GODZILLA
ジュリエット・ビノシュ

事故から15年後。

ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は軍の爆発物処理専門家となり、14ヶ月の任務を終えて妻エル(エリザベス・オルセン)と息子サムの暮らすサンフランシスコに帰る。そこに、東京にいる父ジョーが封鎖地域への不法侵入で逮捕されたという知らせが入る。

ジョーは、妻の命を奪った原発事故の原因は地震や自然災害ではなく別のところにあると信じ、憑かれたように独りで調査を続けていたのだ。そしてついに、ある証拠を発見する。だが、自分の説を証明するには15年前のデータが必要だ。東京まで自分の身柄を引き受けに来たフォードを説得したジョーは、息子を伴って再び封鎖地域に侵入する。

そこで二人が発見したのは、長年隠されていた放射能汚染の真実と、原発跡地で秘密裏に行われていた、巨大未確認地球生物M.U.T.O. (Massive Unidentified Terrestrial Organism)の研究だった。

_KF14095.DNG
ブライアン・クランストンとアーロン・テイラー=ジョンソン

人間ドラマは、原発の事故によって引き裂かれてしまったジョーの家族と、怪獣の出現により家族から引き離されてしまったフォードに焦点を当てる。そこに、ゴジラとM.U.T.O.を研究するMONARCHのセリザワ、2種の怪獣を殺そうとするアメリカ軍がからみつつ、物語は進んで行くのだ。

演じるのは芸達者な役者達。

『キック・アス』(Kick-Ass)シリーズのアーロン・テイラー=ジョンソンに、人気テレビシリーズ『ブレイキング・バッド』(Breaking Bad)のブライアン・クランストン。

『ラストサムライ』(The Last Samurai)の渡辺謙。
『ブルー・ジャスミン』(Blue Jasmine)のサリー・ホーキンス。
『マーサ、あるいはマーシー・メイ(Martha Macy May Marlene)』のエリザベス・オルセン。

『グッドナイト&グッドラック』のデイヴィッド・ストラザーンに、『イングリッシュ・ペイシェント』や『ショコラ』のジュリエット・ビノシュもいる。

ところが、この役者達がその力を発揮する場面はGodzillaにはほとんどない。

せっかく、この世には人間の手には負えないものがあり、それが時として家族の幸福を引き裂いてしまうのだという啓示的テーマがそこにあるというのに、焦点が絞りきれていないせいで、ドラマがうすぼんやりして盛り上がらない。

GODZILLA
エリザベス・オルセン

おそらく、その原因はエドワーズ監督にあるのだろう。

2010年のインディペンデント映画『モンスターズ/地球外生命体』(Monsters)で一躍有名になったエドワーズ監督は、特殊効果や視覚効果を得意とする映画作家だ。『モンスターズ/地球外生命体』では、監督、脚本、撮影、視覚効果、プロダクションデザインの全てをこなし、巨大な宇宙生命体の求愛行為を恐ろしくも幻想的に描いて観客を驚かせた。

だが、どうやら彼は役者の演出や人間ドラマを描くのは苦手らしい。

他の作品ではあんなに光る芸達者な役者達が、Godzillaでは一人で勝手に芝居をしているように見えるのだ。(もっとも、そのせいでクランストン演じるジョーは、陰謀説を唱えるマッドサイエンティストの雰囲気が2割増しになるというオマケが付いて来たが。)

_KF19423.dng
渡辺 謙

なんとも残念なのが、渡辺 謙とサリー・ホーキンス。

渡辺 謙が演じるのは、ゴジラ映画には必須の、ゴジラのことなら何でもわかるイタコのような科学者だ。1954年の『ゴジラ』で志村喬が演じた古生物学者、山根博士がそうであったように、渡辺が演じるセリザワイシロウは、ゴジラがなぜどうやってこの世に存在し人間社会に出現したのか、M.U.T.O.がゴジラにとって何を意味するのか、ゴジラが何をしようとしているのか、全てわかる。

その、ただでさえ非現実的で胡散臭いキャラクターがゴジラの意図をポツリとつぶやくとき、セリザワの目は相手の目を直視せず、遠い目で明後日の方向を見つめる。そのせいで、イタコの胡散臭さがぐんと増す。

GODZILLA
渡辺 謙とサリー・ホーキンス

それに輪をかけるのが、セリザワのポツリをわかりやすく解説するために、常に三歩下がった位置に控えているヴィヴィアン・グラハム(サリー・ホーキンス)。

いや、実際にはセリザワのすぐ横にいるのだが、セリザワ「センセ」のご意見を待ち、「センセ」が何か言おうもんなら何を言わんとしているかを即座に察して解説し始める姿があまりにも古くさい女性像なもんで、どうも三歩下がって立っているように見えるのだ。

セリザワがゴジラのイタコなら、グラハムはセリザワのイタコ(但し、三歩下がる)。

どちらのイタコもオスカーにノミネートされるほどの役者が演じているというのに、人間的な魅力を加味できていないのが残念だ。

特に、単なる添え物キャラクターのグラハムとは異なり、父親にまつわるバックストーリーがあるセリザワは更に口惜しい。ゴジラとM.U.T.O.を殺すため、ある手段をとろうとする軍の司令官ステンツ(デイヴィッド・ストラザーン)に、セリザワは静かに抗議する。本来ならぐっとくるはずのシーンだ。

だが、ぴしっと決めるべき時にふら〜っとセリザワが画面から居なくなってしまうため、シーンに締まりがなくなり実にもったいない。

GODZILLA
デイヴィッド・ストラザーン

芸達者な役者が無駄に使われることと同じくらい残念なのは、核の描かれ方だ。

映画が始まるや、スクリーンには矢継ぎ早に、ダーウィンの「種の起原」の一ページや、MONARCHの機密書類らしきもの、そして水爆実験記録映像のモンタージュが映し出される。しかし、それが示すのは、50年代の南太平洋での水爆実験が実は実験ではなく、ゴジラを殺すための攻撃だったということ。

これについては映画の途中、ゴジラのことなら何でも知っているセリザワが、自分のイタコであるグラハムの口を通して再度詳細に説明してくれるのだが、いきなりガックリさせてくれる冒頭ではないか!

1954年の『ゴジラ』は、南太平洋での水爆実験が海底に潜んでいたゴジラを目覚めさせ、ゴジラを放射熱線を吐く化け物にしてしまったという設定だ。当時はアメリカの水爆実験により第五福竜丸の船員が被爆してしまった事件が起こったばかり。核と戦争の脅威をしっかりと描きつつも娯楽作品に仕上げられた『ゴジラ』は傑作として評価され、観客は映画の中に、この世には人間の手に負えないものがあるというメッセージを見いだした。

ところが、ハリウッド版第2作となった今回のGodzillaでは、その水爆実験が初っぱなからさりげなく正当化される。あれは、核競争のための秘密実験ではなく、人類共通の脅威に対する攻撃だったのだ、と。

また、福島第一原発の事故を思い起こさせる設定でありながら、全ては怪獣のせいとも描かれる。おまけにその怪獣は放射能を餌にして食べてしまうのだ。その怪獣の卵1個、福島第一原発に送り込んでくれよという白けた気持ちがじんわりこみ上げ、「せめて、セリザワがもうすこししゃんとして、ステンツ司令官にビシッと言ってくれたらいいのに」と思ってしまうのだ。

GODZILLA

そう思っていた頃、こちらの気持ちを察したかのようなタイミングで登場するのが怪獣王のゴジラ様。観客席からは大きな歓声と拍手がわき起こり、歌舞伎で役者の屋号を叫ぶように、「ゴジラー!」と叫ぶ観客までいる。

それも当然。

ゴジラがスクリーンにその姿を見せ、あの独特の咆哮を轟かせて大暴れしようもんなら、心底共感できる人間キャラクターがいないことや、キャラクターのふがいなさ、人間ドラマの描き方へのありとあらゆる不満があっという間に吹っ飛んでしまうのだ。

エドワーズ監督は、役者を使ってドラマを演出するのは苦手でも、M.U.T.O.とゴジラを使って恐怖を演出するのは上手い。

霧を使って恐怖を描く原始的な手法はキラリと光る。破壊の跡の描写も恐ろしい。M.U.T.O.の造形は不気味で格好がよく、背後を下から見上げるショットの描写も秀逸だ。

どでかくなったゴジラは、柴犬のようにも見えるなかなか可愛いい顔をしている。ガオーと吠えて、口の中で舌をピロピロさせるところなど、最高ではないか!

いやもうゴジラさえ出て来てくれれば、人間ドラマだのなんだのはもうどうでもいい。こちとら、「東宝チャンピオンまつり」を見て子ども時代を過ごしたのだ。そこで見た数々の東宝のゴジラ映画だって、とってつけたような人間ドラマしか無かったし、魅力的なキャラクターなどいなかった。

第一、ゴジラと怪獣の闘いしか覚えていない!

GODZILLA

IMAX シアターで、3-Dのゴジラがその短い手や長いシッポでビルをなぎ倒し、敵の怪獣と戦うのを見ていると、子どもの頃に経験した原始的な喜びが胸の奥からわき起こってくる。

ジリジリ照りつける太陽の光をうなじに感じながら、波と戦いつつ砂浜に作った砂の城を「エイ!」っとばかりに壊す時に似た、あの快感。一生懸命に組み立てた積み木の家。トランプカードのピラミッド。マッチ棒のビル。床一杯に順番に並べたドミノのパイ。そいつらをバン!と一気に倒す時のあの気持ちよさ!

ゴジラ映画は、それさえ感じられれば文句無し!
もう、ゴジラったら、もっと早く出て来てくれればよかったのになー。

All Photos © Warner Bros.

Godzilla (『Godzilla ゴジラ』)
MPAA Rating: PG-13
上映時間:2時間3分
監督:ギャレス・エドワーズ
脚本:マックス・ボレンスタイン
物語:デイブ・キャラハム
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン、渡辺謙、ブライアン・クランストン、エリザベス・オルセン、サリー・ホーキンス、デイヴィッド・ストラザーン、ジュリエット・ビノシュ

2014年5月16日全米公開
USオフィシャルウェブサイト
2014年7月25日日本公開予定
日本版オフィシャルウェブサイト

オフィシャルトレーラー

Amazon Link