Roger & Me、ロジャー・イーバートとわたし

4月4日、ロジャーが死んだ。

現代のアメリカで最も著名な映画評論家と言っても過言ではない、ピューリッツァー賞受賞者のロジャー・イーバートが、ガンとの長い闘いの後、70歳でこの世を去った。

わたしがロジャーと出会ったのはおそらく1999年頃だったと思う。

「出会った」と言ってももちろん実際にロジャーに会ったわけではなく、友人からロジャーのことを初めて聞き、彼の存在を知ったのがその頃ということ。

ある週末の夜、アメリカから日本を訪問中だった友人のアンドリューが、映画のVHSテープを我が家に持ってきた。

「これ、”Two Thumbs Up”の映画だから一緒に見よう!」

と言いながら。

わたしはてっきり、アンドリューが一度その映画を見て、両手の親指を2本立てて「Good!」と言うほど面白かったおすすめ映画だと思った。

だがそれは早とちりだった。

シカゴのライバル新聞で映画批評を書いているロジャー・イーバートとジーン・シスケルという二人の批評家がいて、その二人がテレビで映画批評する番組がアンドリューが子供の頃からあるらしい。二人は、一つ一つの映画について議論を戦わせ、「Thumbs Up/Thumbs Down」という単純な方法で批評を要約して視聴者に映画を紹介する。

その「Thumbs Up」が番組の一種のトレードマークになったというのだ。

その時アンドリューが持参したVHSはイーバートとシスケルの両方が「Thumbs Up」した「Two Thumbs Up」の映画だった。

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Gene Siskel & Roger Ebert

実は、その時の映画がいったい何だったのか、今となっては全く思い出せない。ただ、「Two Thumbs Up」という彼らのトレードマークだけは、しっかりとわたしの記憶に刻まれた。

それから数年後。ニューヨークに引っ越してすぐのある日曜日の朝のことだ。テレビをつけると、眼鏡の向こうから鋭い眼光を見せる白髪のおじいさんが、同じく眼鏡をかけた森の小動物のような若い男性とある映画について議論している。

小動物が「僕はThumbs Down」とその映画を評価すると、白髪のおじいさんは唾を飛ばしながら反論し、親指をしっかり立てて「わたしはThumbs Up」と宣言する。

それが例の番組だった。

眼光鋭い白髪のおじいさんがロジャー・イーバートで、森の小動物は、1999年に亡くなってしまったシスケルの後を継ぎ、もう一人のレギュラーとなった映画批評家のリチャード・ローパー。

以降、日曜の朝はこの『Ebert & Roeper』という番組をチェックするのが習慣となり、どんな映画で二人が親指を立てるのか、どんな映画で親指を下げるのかを知るのが楽しみとなった。それと同時進行して、NY Timesなどの新聞、雑誌で、映画や芝居の評を読む楽しさの虜になり、すっかりはまってしまった。

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Richard Roeper & Roger Ebert

映画や芝居を見終わった後、誰かとそれについて語りたい、意見を交換したいと思うのは、ごく普通のことだ。友人と一緒に観に行った場合は、映画の後で一杯飲みながら、面白かった、面白くなかったから始まり、「あの俳優が素晴らしかった」とか、「あのキャラクターがああいう行動をとるのが理解できない」など、話をするのはとても楽しい。

人と話して初めて、それまで気付かなかった仕掛けや暗示に気付き、「そういう意味もあったのか」と膝を叩くこともある。原作に詳しい友人からは原作との違いの詳細を聞くこともできるし、歩くデータベースのような友人からは気に入った俳優の前作や次の作品、同じ監督の過去の駄作についての情報を得ることもある。

趣味が良く似ている友人もいれば、趣味は全く違うものの、その視点がユニークで、必ず意見を聞きたくなる友人もいる。ましてや、語らうその友人が話上手で、会話がはずめばなおさら楽しい。

読み応えのある映画評を大きな一般メディアに見つけるのが困難な日本とは異なり、ニューヨークでは新聞を開けばほぼ毎日何かの作品の評が読めた。それを何となく日常的に読んでいくうちに、わたしにとって映画評、演劇評は、友人とのそんな語らいと同じになり、それを書く評論家は、わたしの親しい映画友達、観劇友達となった。もっとも、批評家ご本人は、自分たちがわたしの友人となってしまったことなど露ほども知らないが。

自分が面白いと思った映画も、つまらないと思った映画も、「どう思った?」と、聞いてみたくなる友達。見ようか見まいか迷った時に、「どうだった?」と聞いてみたくなる友達。ロジャー・イーバートは、わたしにとってそんな映画友達のひとりだったのだ。

2007年の映画『Juno/ジュノ』の監督ジェイソン・ライトマンが、4月19、26日号のEntertainment Weekly誌でこんなことを書いていた。

「ロジャー・イーバートに評を書いてもらうということは、それが良い評であれ悪い評であれ、フィルムメーカーとして存在しているということだった」

”To be reviewed by Roger Ebert, good or bad, was to exist as a filmmaker.”

1967年4月3日にシカゴ・サンタイムで最初の映画評を書いたロジャー・イーバートは、2013年4月2日に皆に最後のメッセージを残し、4月4日に他界した。

映画人はその存在の証明となる批評家を失い、わたしは映画の友を一人失った。

Featured Photo by Felix Mooneeram on Unsplash