Theater Review: Once 『ONCE ダブリンの街角で』

映画とミュージカルのギネスな関係

去年の12月にオフブロードウェイでオープンした新作ミュージカルOnceは、2007年に公開されたチャーミングなアイルランド映画Once(邦題『Once ダブリンの街角で』)を舞台ミュージカルにしたものだ。

映画の人気がじわじわと高まっていったように、イーストビレッジにあるニューヨーク・シアター・ワークショップにて期間限定上演されたミュージカルも、プレビュー開始直後からじわじわと人気が高まり、追加公演を含む全公演は早々にソールドアウトとなった。

その人気ぶりはブロードウェイへのトランスファーが早速決定したことからもわかる。珍しいことに、作品がオフでの正式オープンをむかえる前、つまり批評家達が劇評を発表して作品の運命に少なからぬ影響を与える前に、数ヶ月後のブロードウェイ入りが華々しく発表されたのだ。「これは絶対にいける」と投資家やプロデューサー達が自信を持つほど、オフのプレビュー公演で観客の反応が良かったのだろう。

しかし、クリスマス直前にOnceを観たわたしの反応は少々複雑なものだった。

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Steve Kazee (center) and the cast of Once

劇場のロビーに足を踏み入れてまず気付くのは、閉じられたドアの向こうから漏れ聞こえてくるアイリッシュミュージックだ。観客を中に入れるためにアッシャーがドアを開けると音楽がどっと狭いロビーに流れ出す。それと同時に舞台上にあるアイリッシュパブのセットが目に飛び込んでくる。

舞台中央奥には弧を描いた木製バーカウンターがどっしりと腰を据え、その向こうにはカウンターと同心円を描いた木の壁。そこには大小様々な大きさのスモーキーな鏡がうつむくように掛けられ、えんじ色とギネスビールの泡色をした市松模様の床をぼんやり映している。

舞台中央では5、6人のミュージシャンが足を踏み鳴らしていかにもアイルランドのパブで流れていそうな軽快な音楽を演奏している。

まるでアイルランドから移築されてきたようなそのパブでは実際に酒も売られていた。Onceでは開演前とインターミッション中に観客を舞台に上げ、まるで本物のパブのようにそこで酒を売るのだ。

早速舞台にあがって1杯8ドルのギネスを注文する。するとバーテンダーがヘニョヘニョのプラスチックカップに注いでくれたのは、バーカウンターの下から取り出した瓶ビールだった。

「やはりタップは無理だったか。まあ、ほんもののパブじゃないんだからしかたないや。」

そう思いながら座席でビールを飲んでいたわたしは、それから2時間半後、このミュージカルと原作映画との関係が、ボトルから注いだギネスとタップから注いでじっくりサージングしたギネスの関係とに似ていることに気付いた。

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Steve Kazee and Cristin Milioti

映画Once は、無造作に触ると壊れそうなくらい、はかなげな優しさを持った作品だ。敢えて書かねばならないほどの複雑なストーリーは無く、主人公の2人には名前すら無い。

ダブリンの街角で穴の開いたギターをかき鳴らしながら恋の傷を痛々しく歌うストリートミュージシャンのGuyが、音楽家の父親からピアノの手ほどきを受けたチェコ移民の花売りGirlと出会う。二人は音楽を通して心を通わせ、一緒に音楽を作り上げ、惹かれ合い、人生の新しい一歩を踏み出す。

下手をするとありきたりで終わってしまう物語だが、映画全編を通してあふれるように流れる音楽と、音楽と共に静かにスクリーンに映し出される映像のリアルさが映画を特別なものにしていた。

音楽を書いたのは映画でGuyとGirlを演じ、映画の撮影が進むにつれ実際に恋に落ちてしまったグレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァ。俳優ではない二人の間に現実に起こったケミストリーを手持ちカメラがロングショットでとらえる。それが即興のような場面のモンタージュとなり、粒子の粗い映像でスクリーンに映し出される。そうやって、架空の物語に現実としての真実味と説得力が与えられた。

そんな映画を舞台にしたとき、映画の持っていた微妙なニュアンスや説得力はどうなったか? 残念なことに、それらは瓶から注いだギネスビールの泡が瞬く間に消えてしまうように失われていた。

映画はGuyとGirlの音楽への愛がお互いの愛へと静かに広がって行く様子を優しい映像でとらえていた。しかし、その映像の代わりに舞台にあるのは、脚色を担当したアイルランドの劇作家エンダ・ウォルシュが隙間を埋めるために膨らませたようなサブキャラクター達だ。

Girlが訪れては売り物のピアノを弾かせてもらう楽器屋の店主や、Guyがローンの申し込みに訪れる銀行のマネージャーはお笑い担当として登場する。Girlの母親が話すチェコ語は英語字幕で表示され、観客にもその内容がはっきりと伝えられる。丘の上でGirlがGuyにチェコ語で告げる、映画では決して字幕にされずにGuyと観客の好奇心をかき立てたあの一言も、好奇心を抱くヒマすら与えられずにその意味を知ることになる。

しかし、わたしが複雑な思いを抱いたのは、舞台用に膨らまされ、物語を明解にした台本に対してではない。舞台でGuyとGirlを演じた役者に対してだった。

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Steve Kazee and Cristin Milioti

誤解が無いように書いておくが、Guyを演じるスティーブ・カズィーもGirlを演じるクリスティン・ミリオーティも、演技も歌も文句なく素晴らしい、チャーミングはミュージカル俳優だ。しかし、GuyとGirlの役を演じるにはあまりにも容姿が良すぎて、観ているこちらは役者と役とのギャップを埋めることができなくなるのだ。

他の男に寝取られた昔の女を忘れられないGuyは、父親の掃除機修理業を手伝いながら街角で失恋の痛手を歌う惨めな男。映画のハンサードはそんなGuyを、まるで手にしたギター同様、ボロボロにすり減って心にぽっかり穴の開いたお人好しの負け犬として微笑ましく表現していた。

しかし、舞台で同じ役を演じるカズィーは若い頃のエドワード・バーンズを思い出させるイケメン。ギターを爪弾いてその甘い声で歌おうもんなら、ダブリン中の女どもがうっとりして卒倒しそうなほど。手にするギターは掻き傷で塗装が少々剥げ、下から木目がのぞいているが、それすらセクシーに見える。寝取られ男どころか、ストリートミュージシャンにすら見えず、むしろグルーピーを引き連れる人気バンドのリードボーカルのよう。

また、チェコからアイルランドに移民して来たGirlは、街頭で花を売り、掃除婦をしながら家族を養う夫不在のシングルマザーだ。映画でGirlを演じたイルグロヴァにはまるっきり化粧っけがなく、そのもっさりした服装や、まるで「ポチの散歩」と言わんばかりに掃除機を引きずってダブリンの街を歩く姿が、おばさんと少女の中間か、あるいは人目を気にしない芯の強い女性とオタクの中間のような不思議な魅力をかもし出していた。

しかし舞台でGirlを演じるミリオーティは、ジェニファー・ラブ・ヒューイットの妹と言われても納得する容姿を持つ、明るく朗らかなキュートガールだ。真っすぐに立って大きな目で相手をじっと見据える様子も、オタクっぽいというよりはむしろ、人気者の学級委員長がクラスの男子にお小言を言おうとしている様に見える。

「なんだか話に合わない美男美女だな」

そう思いながらミュージカルを観ていると、不思議なことにその違和感が薄れて消えてしまうシーンがあることに気づく。二人が歌うシーンである。特にそれまで学級委員長然としていたミリオーティがソロで歌い出すや、頬を平手打ちされたようなショックを受ける。彼女のざらっとしたアルトの歌声に、胸が締め付けられそうな切なさを感じるのだ。

歌詞の母音を強調し、その声をまるで弦楽器の伸びやかな音のように聞かせる「If You Want Me」は、映画で聞き知っていたはずの曲に予想外のフレッシュさを加える。そしておなじみのメロディに新しい歌詞がついたかのような新鮮さで、Girlの胸の痛みを観客に伝えてくる。

それをさらに強調するのが、スティーブン・ホゲット(American Idiot, Black Watch)振り付けのムーブメントだ。大きなヘッドフォンをつけたGirlと女性2人が暗い舞台の上に立ち、ミリオーティの切ない歌声に乗せて印象的で美しい手の動きを見せる。その流れるような手の動きはこちらにぐんぐんと伸びて来るようで、その手で心をつかまれそうな気になる。

GuyとGirlがローンを申し込みに行く銀行のシーンでもホゲットのムーブメントが光る。マネージャーの前でGuyが歌い始めると、背後のデスクに座る銀行員達が音楽に合わせて身体をうごめかせる。その動きは、普通の人々が心の奥に密かに抱えている切望を表しているようで胸を締め付けるのだ。

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Cristin Milioti

歌も振り付けも無いのに非常に印象的なシーンに仕上がっているのは、Guyが父親に出来上がったデモテープを聞かせる場面だろう。ナターシャ・カッツの照明が二人を四角く切り取り、映画と同様、息子への父の愛情がにじみ出る。

Black Watchでホゲットとタッグを組み、そろってオリビエ賞を受賞した演出のジョン・ティファニーは、舞台に登場する役者達に全ての楽器を演奏させている。従ってミュージカルにはオーケストラも無ければ楽団も居ない。いるのはダブリンの街に住む人々を演じるアンサンブルで、その市井の人々が物語を音楽で満たすのだ。

しかし、例え映画と同じ物語、同じ音楽を用いていても、ミュージカルOnceには足りないものがある。瓶から注いだギネスビールに泡が無いように、ミュージカルOnceには架空の物語に現実味を持たせる、泡のようにはかない説得力が足りないのである。

All Photos by Joan Marcus

<オフブロードウェイ公演>
Once
New York Theater Workshop
プレビュー開始:2011年11月15日
オープン:2011年12月6日
クローズ:2012年1月15日
上演時間:2時間25分(インターミッションを含む)


<ブロードウェイ公演>
Once
Bernard B. Jacobs Theatre
242 West 45th Street
オフィシャルサイト

プレビュー開始:2012年2月28日
オープン:2012年3月18日
クローズ:2015年1月4日(2016年6月24日情報更新)


Credits: Book by Enda Walsh, music and lyrics by Glen Hansard and Marketa Irglova, based on the motion picture written and directed by John Carney, directed by John Tiffany, movement by Steven Hoggett, musical supervision by Martin Lowe, set and costume design by Bob Crowley, lighting design by Natasha Katz, sound design by Clive Goodwin
Cast: Steve Kazee (Guy), Cristin Milioti (Girl), David Abeles (Eamon), Claire Candela (Ivona), Will Connolly (Andrej), Elizabeth A. Davis (Reza), David Patrick Kelly (Da), Anne L. Nathan (Baruska), Lucas Papaelias (Svec), Andy Taylor (Bank Manager), Erikka Walsh (Ex-Girlfriend), Paul Whitty (Billy) and J. Michael Zygo (Emcee)

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