何かと話題の新作ミュージカル、Spider-Man: Turn Off the Darkが、11月28日にようやくプレビュー公演をスタートした。
U2のボノとジ・エッジが曲を書き下ろし、ミュージカル「ライオンキング」(The Lion King)でトニー賞を受賞したジュリー・テイモアが演出を手がけることで話題の作品だ。
だが、それよりも注目を浴びているのはこの作品の公演スケジュールがなんども延期されていることと、それに伴い製作費が大幅に嵩んでいることだ。しかも「べらぼうに」という副詞が必要なほど嵩んでいる。
まだ完成していないSpider-Manの製作費は、現時点で6500万ドル(1ドル=84円で計算で54億円)。ブロードウェイの新作ミュージカルで「多額の予算をかけた」と言われる作品の製作費はおよそ1000〜1500万ドル。つまり、Spider-Manは既に、「多額の予算をかけた」作品が4つや5つは作れる金額をかけていることになる。
もちろん、1500万ドルを超える巨額を投じて作られた作品は過去にもある。Spider-Manが登場するまでは、ブロードウェイでの製作費最高額記録は2500万ドルを費やしたShreck the Musicalだった。ディズニーの成功に我も続けとばかりにブロードウェイに進出したドリームワークスが、大ヒット映画の『シュレック』(Shreck)を舞台化し、結局ディズニーに続くことができなかった作品だ。
Spider-Man: Turn Off the Darkは、そのShreck the Musicalの製作費最高額記録をただ単に塗り替えただけでなく、2.5倍以上の開きを見せた。しかも、6500万ドルという数字が来年1月11日に予定されているオープンまでにさらに膨れ上がるのは必至。
Spider-Manは1週間公演を続けるだけで100万ドルのランニングコストがかかると言われているのだから、この作品が底なし沼のように金をぐんぐん飲み込んでいくべらぼうな化け物であることがよくわかる。(ちなみに、現在ブロードウェイで上演中のMary PoppinsやWest Side Storyなどのミュージカルのランニングコストは、週に数十万ドル程度。)
その、超大作底なし金飲み沼が、度重なるスケジュール延期や資金繰りの悪化などのトラブルの連鎖に終止符を打ち、プレビュー公演の初日をようやく迎えたのである。

「ようやく」という言葉がこれほどぴったりなプレビュー公演の幕開けもない。元々、Spider-Man: Turn Off the Darkは今年の1月にプレビュー開始、2月にオープンの予定だった。製作費の予讃もShreck the Musicalと同じく2500万ドルと報道されていた。
ところが、技術的トラブルによりスケジュールに遅れが生じ、コストが膨れ上がり始める。資金繰りは悪化し、さらにスケジュールに遅れが生じ、資金繰りがさらに悪化するという悪循環に陥る。
製作費は当初の2500万ドルから3000万ドル、4000万ドルと増えて行き、ついに5000万ドルを超えた。2009年11月6日には、製作費5200万ドルのうちの2400万ドルが負債になっているというニュースがLA Timesに掲載された。
リーマンショック以来、ウォールストリートの投資家がブロードウェイ作品に投資するようになったというのが巷のもっぱらの噂だったが、2400万ドルの資金不足と未払いの請求書が溜まっていると聞くと、投資家の脳裏に一昔前のマイケル・チミノ(Michael Cimino)監督映画、『天国の門』(Heaven’s Gate)にまつわる騒動がちらついたのではないだろうか。
1980年の映画『天国の門』は、由緒ある映画製作会社ユナイテッド・アーティスツを倒産に追い込んだ映画として悪名高い。その後、監督主導の映画作りからスタジオ主導の映画作りへと移行させるきっかけともなった映画で、一部では「災害」とまで呼ばれている。
1978年の映画『ディア・ハンター』(The Deer Hunter)でアカデミー賞を受賞したチミノ監督は、1979年にその年のクリスマス公開を予定して、1100万ドルの予算で『天国の門』の撮影に入った。しかし、公開予定日になっても撮影は終わらず、結局、映画の公開は当初の予定から約1年の遅れをとる。製作費は当初の予算の4倍もかかってしまう。
もちろん、これで大ヒットとなれば何も問題は無かった。だが、映画は批評家から酷評され、観客から見向きもされず、興行的にも大失敗。
結局、チャールズ・チャップリンにメアリ・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクスにD・W・グリフィスらが創ったユナイテッド・アーティスツ(UA)は倒産に追い込まれ(MGMに買収される)、映画『天国の門』は文字どおりUAの地獄の門になってしまった。
Spider-Man: Turn Off the Darkの投資家達が、地獄の門が開く不気味なきしみ音を耳にしたのかどうかは定かでないが、何度も遅れるスケジュールのせいで、決定していた有名人キャスト(MJ役のエヴァン・レイチェル・ウッドとグリーンゴブリン役のアラン・カミング)が、プロダクションから次々と去って行くのを見て、財布のヒモが固くなっても仕方がない。
2月のオープンは3月になり、その後、漠然とした「2010年中に公開」という形で延期された。
Spider-Man: Turn Off the Dark(「スパイダーマン:闇の幕を開ける」)ならぬ、Spider-Man: Dark(「スパイダーマン:幕、開かず」)になってもおかしくない状況だ。(ちなみに、シアター用語でdarkと言えば「公演していない」という意味がある。)
しかし、さすがU2のボノ。『オペラ座の怪人』(The Phamtom of the Opera)のアンドリュー・ロイド・ウェーバーがある宴席で話した
「ロックミュージシャンが25年もそっとしておいてくれたことに感謝しなくては。おかげでシアターは全部わたしのものになったんだから」
というジョークに反応し、「彼のちょっとした競争相手になってやろうと思って」スパイダーマンを作り始めただけのことはある。
アルバムを1枚出すたびに全世界で数百万枚をあっさり売ってのけるU2のボノが、2400万ドルの資金ショートでこのままウェーバーの競争相手からあっさり脱落するハズもない。
もともと、映画『アクロス・ザ・ユニバース』(Across the Universe)に出演して監督ジュリー・テイモアの才能に触れ、「『スパイダーマン』を演出できるのは彼女しかいない」とテイモアを演出家に指名し、彼女の参加を自分が参加する唯一の条件にしたのもボノなのだ。
言わば超大作底なし金飲み沼の地盤を固めた(いや、緩めた?)影の立役者なのだから、底なし沼に金を運んでくれる新しい人間を自ら探してきたのも不思議ではない。
結局、ロックコンサートのプロデュースも手がける新プロデューサーをボノが引き入れ、資金が集まり始めた今年の初夏、Spider-Man: Turn Off the Darkは再び動き出した。
そして、今年の夏にはリハーサルが始まり、11月14日のプレビュー開始とクリスマス直前のオープンが現実的になってきた。
あいにく、リハーサル中のワイヤーアクションで事故があり、当局による安全性の調査確認が完了するまでプレビュー開始が28日まで延期となる。
そのプレビュー初日も、5回の中断を経て終了したという波乱万丈の公演となった。
さてさて、この底なし沼からやがて芽が出て金の鳴る木が育つのか、はたまた地獄の門となるのか、乞うご期待!
注1:映画「天国の門」がどのようにして名門映画制作会社ユナイテッド・アーティスツを倒産に追い込んだかは、スティーブン・バック(Steven Bach)著の「ファイナル・カット - 『天国の門』製作の夢と悲惨」(Final Cut: Dreams and Disaster in the Making of HEAVEN'S GATE)に詳しく描かれている。
Spider-Man: Turn Off the Dark オフィシャルサイト