ミスター予告篇、ドン・ラフォンテーン

その昔、世の中にDVDなんてものは存在しなかった頃、我が家のリビングルームでは毎週土曜の夜にVHSビデオ映画鑑賞大会が開かれていた。

参加者は決まって3人。わたしと相棒と、アメリカから日本に留学中のお友達、アンドリュー君だ。

その夜の映画が何だったのか、今となってはさっぱり覚えていない。だが、それがハリウッド映画だったこと、本編前にくっついているトレイラー(映画の予告篇)がやたらめったら多かったことだけはよく覚えている。

明かりを消したリビングルームの真ん中で青い光を放つ25インチブラウン管テレビの前に陣取ったわたし達は、ハーゲンダッツアイスとプリングルス、カールチーズ味というお決まりのおやつを食べながら、次から次へと映し出されるトレイラーを見つつ本編が始まるのを待っていた。

と、相棒がアンドリュー君に質問する。

「トレイラーのナレーションって、みんな同じ人がやってるの?」

確かに、どいつもこいつもドスの効いた野太いおっさん声が独特の抑揚と話し方でナレーションを付けている。

しかし、アメリカに関することはアメリカ人に聞けばなんでもわかると思っているとは、相棒もかなりナイーブだ。「んなことわかるわけないやん」と突っ込みそうになったその時、アンドリュー君がひょうひょうと応えた。

「うん。ミスター・トレイラーだよ。」

冗談みたいな応えにぐうの音も出ないでいると、アンドリュー君の断言をあざ笑うかのように明らかに別の声で新しいトレイラーが始まった。

「じゃあこれは?」

突っ込む相棒にアンドリュー君は自信たっぷり。

「ミスター・トレイラーの弟」

確かに家族は話し方が似てくると言うし、トレイラーのナレーター達もまるで家族のように同じ抑揚と独特の発音で話す。「弟」と言われても納得だ。

すっかり感心してしまったわたしと相棒は、その夜以降トレイラーのナレーターは十把一絡げに皆「ザ・トレイラーズ」と呼んでご家族様とみなすことにし た。そしてトレイラーを見る度に「これはミスター・トレイラー」だの「今度のはおじさん」だの「息子が出て来た。でもまだ見習い中だから短いのしかやらせてもらえない」だのと、一家の活躍を密かに楽しんで来たのである。

ところがそんなある日、悲しいニュースが届いた。
ミスター・トレイラーことザ・トレイラーズのお父さん、ドン・ラフォンテーンが亡くなったのだ。

2008年9月1日。享年68歳。

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「神の声」「雷の喉」「ザ・ボイス」などと呼ばれたラフォンテーンは、「2001年宇宙の旅」「ゴッドファーザー」「13日の金曜日」「危険な情事」「エレファントマン」「ターミネーター」「インディペンデンスデイ」「ダイハード」「バットマンリターンズ」、最近では「ボラット」や「ヘアスプレー」などなど、約5000本の映画予告編と数十万にも及ぶテレビのスポットCMの「声」を務めた男だ。

1940年8月にミネソタ州で生まれたラフォンテーンは、13歳のある日、「お母さん、お皿洗うの手伝うよ〜」と話してる途中で突然あの野太い声に声変わりしたらしい。

高校卒業後に入った陸軍で録音技師として働き、除隊後はニューヨークのナショナルレコーディングスタジオの音響技師兼編集者となった彼は、そこでラジオプロデューサーのフロイド・ピーターソンと出会う。1962年のことだ。

当時映画の広告と言えば劇場用予告篇か紙媒体のみで、しかも劇場用予告篇はどれもスターをこれでもかと前面に押し出したものか、例えば映画「サイコ」のようにヒッチコック監督自らがセットを案内しながら新作のストーリーを説明するといったものが主で、全てスタジオが「自社生産」していた。

そんな中、ピーターソンとラフォンテーンは二人して映画のプロモーション専門プロダクション会社を設立し、まずはラジオ用スポットCMを、次にテレビCMをと手を広げ、2年後にはマンハッタンに自社ビルを所有して20名の従業員を抱えるまでに成長したのである。

“In a world where …”や “A one-man army” 、又は”No where to run, no where to hide, and no way out”など、今でもトレイラーでよく使われるおなじみのキャッチフレーズ(注)はこの時期に生み出され、その成功はスタジオ「自社生産」のみだったトレイラーの姿を変えることになった。

そう、プロデューサー兼ライターだったラフォンテーンは、映画予告篇の現在の姿を確立した立役者の一人なのである。

その彼がナレーターとしてデビューしたのは65年、西部劇「カサグランデのガンファイター」のトレイラーだ。雇った声優が手違いで現場に現れなかったため穴埋めとしてナレーションを吹き込んだのだが、それをMGMが気に入り、以来「声」として活躍することになったのだ。

その後、彼は業界屈指のトレイラー製作会社のトップを数年務め、76年に自身のプロダクション会社であるドン・ラフォンテーン・アソシエイツを設立する。

78年にはパラマウント映画のトレイラー部門に入り、文字通りパラマウント映画の「声」となってトレイラーを作って副社長にまでなったのだが、現場の仕事が恋しくて81年にパラマウントを去りフリーとなった。

「1分で30,000ドル稼ぐ」とも噂されたラフォンテーンは、駐車スペースを探す時間を節約するため、運転手付きのリムジンを雇ってスタジオからスタジオへと移動していたことでも有名だったが、その後ハリウッドにある自宅に「The Hole」と妻から呼ばれるスタジオを作って、週に約60本、多いときには日に35本の「声」を録音するようになった。

しかし、業界では有名な彼も、一般人にとってはまだまだ「声はすれども姿は見えない」存在。ラフォンテーンがその姿をお茶の間にさらして声ばかりでなく顔までをも有名にしたのは2006年の夏、トカゲや原始人、タツノコプロの「マッハGo Go Go」のアニメを使ったオモシロCMで知られる自動車保険会社GEICOが彼をコマーシャルに起用した時だ。

何を隠そうこのわたしも、ミスター・トレイラーの姿を初めて目にしたのはこのコマーシャル。

 

さえない主婦がキッチンのテーブルに座り、その後ろではヘッドフォンをしたハゲ頭のオヤジがスタンドマイクの前に立っている。

CMは、体験談を語る主婦の話をドラマチックに盛り上げるため「That announcer guy from the movies(映画のアナウンサーやってるあの男)」を雇ったと紹介し、テレビ画面にはしっかりと「ドン・ラフォンテーン、映画トレイラーアナウンサー」の文字が入る。そしてそのハゲオヤジの口からは、あの五臓六腑に染み渡る渋いミスター・トレイラーの声がおなじみの決まり文句、「In a world where…」と共に出て来るのである。

「あなただったのか!」

まるで、命の恩人が誰だったのかをついに悟った時のようなこの感動!

残念ながらこのコマーシャルの放映も既に終わり、彼が亡くなって1ヶ月以上経つ現在、日に日に彼の声がテレビから流れてくる時間も少なくなって来た。

そう、彼は本当に亡くなってしまったのだ。

In a world where Don LaFontaine has gone…

わたしはひたすら「ザ・ベスト・オブ・ドン・ラフォンテーン」10枚組ブルーレイディスクの発売を待ち望む。
あの夜、ミスター・トレイラーの存在を初めて知ったあの夜の3人で観るために。

注:ちなみに、このキャッチフレーズは余りにもトレイラーに多用されたもんだから、ラフォンテーンの物真似が得意なコメディアン、パブロ・フランシスコなどによってパロディにされている。
物真似はパブロ・フランシスコの公式ウェブサイトの「Videos」コーナー、"Pablo The Tonight Show 1 2005"で見られる。

・ドン・ラフォンテーンの公式ウェブサイトドン・ラフォンテーンへのトリビュートトレイラー集
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