ラティーノの人情紙芝居ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』
「ズバリ、吉本新喜劇。」
ブロードウェイで今一番ホットな新作ミュージカルIn The Heightsを観て、あるミュージカル通がそうのたまった。
今年のトニー賞でベスト・ミュージカル賞、オリジナルスコア賞、振付賞、編曲賞の4つの賞に輝き、ラティーノの『レント』(RENT)とも言われる大人気ミュージカルIn The Heightsが吉本新喜劇なのだ。
ずいぶん大胆なことを言うなーとお思いかもしれないが、このミュージカル通の言うことはかなり的を射ている。何を隠そうこのわたしも、「まるで『松竹新喜劇』だ」と思ったのだから。

それもそのはず。物語は吉本新喜劇や松竹新喜劇お得意のご近所人情もので、先が簡単に読めてしまう単純なストーリー展開。ブロンクスに向ってニョロっと伸びたマンハッタンの下北半島、そこの根元に位置するワシントンハイツを舞台に、景気の波に押し流されそうになるラテン系移民の生活に焦点を当てたミュージカルだ。
小さな食料品店を経営するウスナビとそれを手伝う従兄弟のソニー。血はつながっていないが二人を育てたクラウディア婆ちゃん。近所でカーサービス会社を経営する夫婦と、スタンフォード大学から夏休みで帰省してきた娘のニーナ。ニーナに想いを寄せる非ラティーノの従業員ベニーや、家賃高騰でブロンクスに移転せざるを得なくなったヘアサロンオーナーのダニエラと、ダニエラのサロンで働きながらダウンタウンに引っ越すことを夢見るヴァネッサといった面々が見せる、山あり谷あり、笑いあり涙ありの人情紙芝居。

どのキャラにどんなことが起こるのかかなり見え見えの世界が目の前で繰り広げられ、桑原和男や池野めだか、もしくは、今は亡き藤山寛美が出ていないのが不思議になるくらいのコテコテ度だ。違いと言えば、誰も関西弁を話さず、お約束のギャグの代わりにサルサやメレンゲ、ラテンポップといった曲に合わせて歌って踊ってラップるというところだけ。
しかし、その違いはかなりデカい。
オープニングのタイトルソングIn The Heightsからラテン音楽が炸裂し、客席でおとなしく聞いているのが難しくなるリズムがズンドコと劇場を包み込む。舞台で歌い踊る俳優達から客席に向ってエネルギーがドドーッと流れ込み、真冬でも蒸し暑さをムンムン感じること請け合いの音楽が次から次へと繰り出されるのだ。
中でも一番の目玉は音楽と歌詞の全てと物語の大筋を書き、主役ウスナビを演じるリン=マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)によるラップ。

現在28歳のミランダは、まだ大学生の時にこれの元となるショウを書く。それがやがてIn The Heightsとなって2007年2月にオフブロードウェイで上演され、その後、2008年3月にはブロードウェイでオープン。そして6月のトニー賞ではオリジナルスコア(曲と歌詞)賞と作品賞をダブル受賞するという才能あふれるシンデレラボーイだ。
決して男前とは言えない、どちらかと言うとその辺をうろついてるさえない兄ちゃんにしか見えないミランダだが、舞台上の求心力はまるで鳴門海峡の渦潮のように強い。
町の皆がミランダのラップに乗って歌い踊ると、劇場はラティーノの渦巻きに飲み込まれ、立ち登る熱気に包まれてまるでサウナのようにムンムンになる。
しかし、残念なことに盛り上がりサウナナンバー達の合間に、少々退屈なナンバーが挟まる。
それはたいてい、暗い舞台上でスポットライトを浴びて朗々と歌い上げるという、まるでテレビの歌謡ショウ風のソロナンバーだ。
普通、ミュージカルのソロと言えば、ぐっと感情を揺さぶる目玉曲になりがちだが、In The Heightsの場合はどれもこれも歌謡ショウ的な一本調子の演出で見せられるせいで、だんだん飽きてくる。
しかも、ミュージカルの醍醐味であるハーモニーを聞かせるデュエットが少ないのも単調さに拍車をかける。
もちろん、かわりばんこに歌うタイプのちょっとした掛け合いデュエットや、バックコーラスで茶々が入る曲はたくさんある。だが、登場人物同士の感情の高まりやつながりをハーモニーで表現する曲は、一幕目の終わり近く、ベニーとニーナのデュエット’When You’re Home’までなかなか登場しない。

しかし、ミランダが登場してラップを始め、町の人を巻き込んでカンパニー全体で歌い踊り始めると、退屈な歌謡ショウのことなど(次が始まるまで)すっかり忘れてしまい、舞台のノリノリがこっちにまで伝染して客席で身体が揺れてしまうのだ。
そこでふと思った。
ミランダのいないIn The Heightsは、ひょっとしたら月の引力が無くなった鳴門海峡のようなんじゃなかろうか?
多分、この作品を観て私が松竹新喜劇を思い出した理由はそれもあるに違いない。
しかし、藤山寛美のいない松竹新喜劇には藤山直美が現れたように、俳優の層が電話帳のように分厚いブロードウェイのこと、きっとミランダがいなくなっても素晴らしいウスナビが登場してくれるに違いない。
いや、だいたい、ミランダの降板すら発表されてないのに、かなり余計なお世話なのだが。

All Photos by Joan Marcus
In The Heights
Richard Rodgers Theater
226 W 46th St. (Broadway & 8th Avenue)
オフィシャルサイト
プレビュー開始:2008年2月14日
オープン:2008年3月9日
クローズ:2011年1月9日
上演時間:2時間20分
Credits: Conceived by Lin-Manuel Miranda; book by Quiara Alegría Hudes; music and lyrics by Mr. Miranda; directed by Thomas Kail; choreographed by Andy Blankenbuehler; music director, Alex Lacamoire; sets by Anna Louizos; costumes by Paul Tazewell; lighting by Howell Binkley; sound by Acme Sound Partners
Cast: Andréa Burns (Daniela), Janet Dacal (Carla), Robin de Jesús (Sonny), Carlos Gomez (Kevin), Mandy Gonzalez (Nina), Christopher Jackson (Benny), Priscilla Lopez (Camila), Olga Merediz (Abuela Claudia), Lin-Manuel Miranda (Usnavi), Karen Olivo (Vanessa) and Seth Stewart (Graffiti Pete)
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