「光州行きましょう!」
韓国とアメリカでは2017年に、日本では2018年に公開された『タクシー運転手 約束は海を超えて』(原題:택시운전사、英語タイトル:A Taxi Driver)は、1980年5月18日に韓国の全羅南道光州市で蜂起した光州事件を取材するため韓国にやってきたドイツ人記者と、彼をソウルから光州まで連れて行って連れて帰ってきたタクシー運転手の実話に基づいたドラマ映画だ。
個人タクシーの運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)は、妻に先立たれて11歳の娘と二人で暮らしていた。世間では大学生たちが軍事政権への抗議にデモを繰り返していたが、家賃の支払いも遅れているマンソプは生活するのに精一杯で政治に関心を払う余裕はない。そんなマンソプがある日食堂で昼飯を食べていると、タクシー運転手仲間たちが高額報酬の送迎仕事について話し始める。ある外国人を光州まで連れて行き、またソウルに連れて帰ってきて10万ウォンを稼ぐ仕事をこのあとするという。マンソプはその仕事を横取りするため、こっそり食堂を抜け出してその外国人との待ち合わせ場所に急ぐ。
ドイツ人記者ピーターことユルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)を乗せてソウルと光州を往復してくれるタクシーを手配したのは韓国人記者のイーだった。イー記者は信頼できるタクシー会社に頼んだはずなのに現れたのが個人タクシーだったため戸惑うが、マンソプに調子良く言いくるめられる。そしてマンソプが言うのがこのセリフだ。
“Let’s go Gwangju!” 「光州行きましょう!」
だがこの時のマンソプは、光州で何が起こっているのかも、光州への旅がどれほど危険かも理解していなかった。ただ光州に行って帰って10万ウォンを稼ぎ、娘のところに帰ることだけを考えていたのだ。
この映画の舞台となった当時の韓国には民主化ムードが漂っていた。1979年10月26日に朴正煕大統領が暗殺され、それまで約18年続いた独裁が終わりを告げたからだ。暗殺の翌日に戒厳令が布告されたものの、各地では民主化を求めるデモも起こっていた。だが、12月12日に暗殺犯が逮捕されたことをきっかけに全斗煥陸軍少将率いる新軍部が軍と政権の実権を掌握する。朴正煕の後任で大統領になった崔圭夏は国民に憲法改正と民主化を約束していたが、彼には新軍部を抑える力はなかった。いわゆる「ソウルの春」と粛軍クーデターだ。
全斗煥政権は翌年5月17日に戒厳令を全国に拡大し、さらに野党のリーダー達を逮捕、軟禁する。その野党リーダーの一人、金大中の出身地である全羅南道の光州では、戒厳令に抗議し、民主化を求める学生たちのデモが大きくなっていた。それを徹底的に鎮圧しようと軍は大学を封鎖。投入された精鋭の空挺部隊が学生や市民を虐殺してまわった。それが5月18日から10日間ほど続いた光州事件だ。
今年の12月3日に起こった韓国での非常戒厳令布告とその解除の騒動で、この光州事件を思い出した人も多いはずだ。そしてこの映画のことを思い出した人も多いだろう。
この映画は上に書いたような光州事件蜂起の引き金となった政治的背景についてはほとんど描写していないが、それでも光州事件の恐ろしさはしっかりと描いている。精鋭部隊がデモをする市民たちを一掃しようとするシーンは再現映像のようで何度見ても胸が痛くなる。また、真実を国民に伝えようとしない政権の残忍な言論弾圧と報道の自由に対するあからさまな攻撃、保身のためにそれに手を貸して共犯者となってしまう人間たちの姿までしっかり描いているのも秀逸だ。この描写のおかげで政治的に無関心だった主人公が政治的意識を高めていく姿の説得力が増すのだ。
映画を見終わった後、人間的なソン・ガンホの “Let’s go Gwangju!”「光州行きましょう!」という誘いの声を思い返してみると、このセリフが「民主主義を守りに行きましょう!」というメッセージにも聞こえてくる。
『タクシー運転手 約束は海を超えて』(택시운전사)
A Taxi Driver (2017)
監督:チャン・フン
脚本:オム・ユナ
製作:パク・ウンキョン、チェ・キソプ
撮影:ゴ・ナクソン
音楽:チョ・ヨンウク
編集:キム・サンボム、キム・ジェボム
出演:ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジョンヨル、パク・ヒョックォン、チェ・クゥイファ、イ・ジョンウン
韓国公開日:2017年8月2日
US公開日:2017年8月11日
日本公開日:2018年4月21日
Top Image: Screenshot from A Taxi Driver © Showbox (2017)

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