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Memphis The Musical | Theatre Review

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『メンフィス』とソウルとミュージカルシアター

しっかりした物語にノリの良い音楽とダンス。唄って踊れて演技ができる俳優陣に、時代とキャラクターにふさわしい衣装。見栄えのする舞台装置に効果的な照明。

2009年10月にブロードウェイでオープンしたミュージカルMemphisには、良いミュージカルに必要なものはとりあえず全てそろっている。仕上がりもそつがない。

それなのに、そこにあるべき大切なものを感じられず、作り物感がただよう。そこにあるべきなのにそこにない大切なものとは、いったい何ぞや?

魂(ソウル)である。

物語の舞台は1950年代のテネシー州メンフィス。

人種を分離した教育は不平等だというブラウン対トピカ教育委員会裁判の最高裁判決(注1)が出され、ローザ・パークス事件(注2)やリトルロック高校事件(注3)が起こり、公民権運動がうねりとなって60年代に打ち寄せて行く時代の話だ。

もちろん、白人シンガーが黒人シンガーの歌をコピーして唄い始め、「黒い」音楽であるブルースやジャズやリズム&ブルースと、「白い」音楽であるカントリー&ウエスタンが融合し、ロックンロールが生まれた時代でもある。

そんな時代を背景にしたこの物語の主人公は、白人DJのヒューイー。実在したメンフィスのDJデューイー・フィリップス(Dewey Phillips)を意識して作られたキャラクターだ。

ロックンロールの歴史に詳しい人ならご存知だろうが、デューイー・フィリップスは、アラン・フリード(Alan Freed)と並んでロックンロールのパイオニアとして有名なDJ。

エルビス・プレスリー(Elvis Presley)が1953年にサン・レコードのドアを叩く数年前から、メンフィスの地元ラジオ局でマディ・ウォーターズ(Muddy Waters)やハウリン・ウルフ(Howlin’ Wolf)の「黒い」音楽をオンエアしていた人物で、1954年7月にエルビスが出したシングルを最も早くラジオで流したことでも有名だ。

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この著名なDJをモデルにして書かれた主人公ヒューイーも、ある夜、転がり込んだ黒人専用ナイトクラブで聴いたレイス・ミュージック(リズム&ブルース)に惚れ込み、タブーを破って「黒い」音楽を「白い」ラジオ局でオンエアする。

黒人向けのラジオ局はダイヤルを回してもチューニングしにくい端っこにある。そこではレイス・ミュージックが流れているが、ダイヤルを真ん中に持って行くとすぐに見つかる白人向けのラジオ局で流れているのはペリー・コモが唄うスタンダード・ナンバーやブロードウェイのミュージカル・ナンバーばかり。そんな白人向けの局に突如としてビートの効いたレイス・ミュージックがかかり、若者達は熱狂する。

DJとして人気を得たヒューイーは、さらにタブーを破って黒人歌手のフェリシアと恋におちる。

聴く音楽にまで影響する人種隔離政策。
白人DJと黒人歌手の禁じられた恋。
それぞれの夢を追う二人の成功と挫折。

そいつを「黒い」音楽と「白い」音楽、そしてその二つから生まれたロックンロールに乗せて描いたのがミュージカルMemphisなのである。

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狙いは素晴らしく、作品のテーマと時代とそれを描くために選ばれた素材もぴったりとマッチしている。

ラジオのダイヤルを視覚的に使い、白人社会と黒人社会のどちらがメインストリームにあり、どちらがアンダーグラウンドにあるのかを強調する演出もニクい。(しかも、黒人専用のナイトクラブは地下にあり、そこで唄う歌は’Underground’というタイトルなのだから、抜かりが無い。)

しかし、素晴らしい狙いも、マッチしたテーマと素材も、ニクい演出も、一気に帳消しにしてしまうのが魂(ソウル)の不在だ。

「仏作って魂入れず」と言う諺が頭に浮かんでしまうほどに、ミュージカルの中で黒人キャラクター達が唄う歌に肝心のソウルを感じられないのだ。

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Chad Kimball and the cast of Memphis

曲と歌詞を担当したのは、ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)のキーボード、デイヴィッド・ブライアン(David Bryan)。人気ロックグループのキーパーソンだけあり、なるほどノリノリの曲を次から次へと登場させてくれる。ここぞという部分で主要キャラクターが熱唱するパワフルなナンバーもそろっている。

ところが、「黒い」はずの曲が、なぜかミュージカル・シアターで唄われる馴染みあるナンバーにしか聞こえない。それでいいのか?

断っておくが、ミュージカル・シアターの曲に何ら文句があるわけではない。むしろ好きだからこそ、腐るほどのミュージカルを見続けているのだ。

しかし、ラジオで流れるブロードウェイのミュージカル・ナンバーに聞き飽きた若者達が初めて聴いた「黒い」音楽に熱狂した話だというのに、その「黒い」音楽が現代のミュージカル・シアターで聞き慣れた音楽であるとは、なんという皮肉だろう。

黒人キャストで唄うオープニング・ナンバーの’Undergraound’も、ドカンとパワフルで観客の注意をグイっと引き付けるものの、地下に押しやられている者たちからにじみでるはずの(とわたしが勝手に期待する)ソウルが感じられない。

モンテゴ・グローバー(Montego Glover)演じる黒人歌手フェリシアのソロナンバー’Colored Woman’にも、ひどい差別に遭ったばかりの女性が唄う歌としてのソウルを感じることができない。

もっとも、フェリシアがヒューイーに抱いているはずの恋心が客席にはあまり伝わってこないところから判断すると、彼女はこの歌を感情の高まりの発露として唄っているのではなく、演技の上での感情として唄っているからかもしれないのだが。

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Montego Glover (center) and the cast of Memphis

とにかく、白人のヒューイーが心奪われる「黒い」はずの音楽が白っぽい。ヒューイーが「白い」ラジオに乗せる「黒い」はずの音楽が白っぽい。まるで教科書にある「人種差別とロックの歴史」という一章を原作にしたかのような味気ない作り物臭さを感じるのは、そのせいなのだ。

Memphisと同様に人種差別と音楽を扱ったブロードウェイ・ミュージカルに『ヘアスプレー』(Hairspray)と『ドリームガールズ』(Dreamgirls)がある。

『ヘアスプレー』は60年代のボルティモアの白人高校生がテレビの人気ダンス番組の人種の壁を破ろうとする物語で、全体がポップに作られているせいか、そのミュージカル・ナンバーにソウルが必要不可欠だとは思わなかった。(もっとも、一部の曲にソウルを感じたが。)

また、『ドリームガールズ』は60年代のシカゴ(2006年の映画版ではデトロイト)を舞台に、白人社会での成功を求める黒人歌手とマネージャー/プロデューサーの物語。元々泥臭くない北部の話で、歌そのものも白人にアピールするためにどんどん「黒さ」とソウルを無くしてポップになって行く話なもんだから、登場する歌の大半にソウルを感じなくても簡単にあきらめがついた。

しかし、泥臭いメンフィス・ソウルが生まれた街メンフィスを舞台にし、黒人の音楽を白人社会に紹介したDJが主人公の物語では、やはり「黒い」歌にはソウルを感じたい。

所詮は、白い世界の人間が作った白い世界の人間のための黒い世界のお話なのだろうか?
それではあまりにも悲しすぎやしないか?

ところが、物語も終わりに近づいて来た頃、がっかりして劇場の座席の中に沈み込んでいたわたしの耳と魂にソウルを感じさせるナンバーが届いた。

そのナンバーとは、白人のヒューイーがメンフィスへの思いを唄う、ソウル・ミュージックとはほど遠いいかにもミュージカル・ナンバーの’Memphis Lives in Me’。

ヒューイーを演じるチャド・キンボール(Chad Kimball)は、クリスチャン・スレイター(Christian Slater)を思い出さずにはいられないやんちゃ坊主のような母性本能をくすぐる魅力を持っている。わたしがミュージカルを最後まであきらめずに見続けられたのも、何を隠そうこの俳優が惜しげも無く見せるその魅力のおかげだ。

ヒューイーよ、お前のソウルはしっかりわたしの魂にも届いたぞ!

Memphis
The cast of Memphis

しかし、ようやく感じたソウルのかけらに酔いしれる暇もなく、続くラストナンバーの’Steal Your Rock ‘n’ Roll’にわたしはまたしても座席の中に沈められてしまった。

白人キャストも黒人キャストも入り乱れて明るく唄い踊り、皆ハッピーだと言わんばかりに「魂の声を聞け(Listen to your soul)」というフレーズが賑やかに何度も繰り返される。

言っておくが、もしも魂の声を聞きたければ5ブロック北の劇場で上演中のFela!を観に行ったほうがいい。

ナイジェリアのミュージシャンで黒人解放運動家であるフェラ・クティを描いたFela!を、Jay-Zやウィル・スミス、ジェイダ・ピンケット・スミスが提供しているにはそれなりのワケがある。

そう、あちらには魂(ソウル)が溢れているのだ。

Photos by Joan Marcus

<オマケ>
何を持ってして魂(ソウル)があるとか無いとか言うのか? 要はこちらの魂を高揚させる何かを感じるかどうかなのだが、詳しく知りたければピーター・バラカンの『魂(ソウル)のゆくえ』を読んでもらいたい。我が家にあるこの本は1989年の出版以来愛読されているせいで、すでにボロボロになっているが、2008年に全面改訂版の単行本が出版されたらしいので是非そちらをどうぞ。

注1:ブラウン対トピカ教育委員会裁判(1954)
後の公民権運動が盛り上がるきっかけとなった画期的な裁判。1896年に出された「分離すれど平等」という人種の分離を差別ではないとするプレッシー対ファーガソン裁判の判例を覆し、「人種を分離した教育機関は本来不平等である」と判定した。ちなみに、ブラウン対教育委員会裁判でブラウン側をサポートする全米黒人地位向上協会(NAACP)のチーフ弁護人を務めたのは、アフリカ系アメリカ人として最初の最高裁判事となるサーグッド・マーシャル(Thurgood Marshall)で、彼の半生を描いた一人芝居Thurgoodは、ローレンス・フィッシュバーン(Laurence Fishburne)主演で2008年の夏にブロードウェイで上演された。

注2:ローザ・パークス事件(1955)
公営バスで運転手から白人に席を譲るように言われた黒人のローザ・パークスが、席を譲ることを拒否したために条例違反で逮捕された事件。これがきっかけになり、マーティン・ルーサー・キング, Jr.牧師らが声をかけて大々的なバス・ボイコット運動が始まる。

注3:リトルロック高校事件(1957)
ブラウン対トピカ教育委員会裁判の後も黒人の入学を許していなかったアカーンソー州の高校で、9人の黒人学生の入学を州知事が拒否した。その上、「暴動が起きるという情報があった」という理由をつけて州兵を招集し、高校を閉鎖して黒人学生が校内に入るのを阻止した事件。

Memphis
Shubert Theatre
225 West 44th Street(Between Broadway & 8th Ave.)
オフィシャルサイト
プレビュー開始:2009年9月23日
オープン:2009年10月19日
クローズ:2012年8月5日 (2016年6月24日情報更新)

Credits: Book by Joe DiPietro, Music by David Bryan, Lyrics by Joe DiPietro, Directed by Christopher Ashley, Choreography by Sergio Trujillo
Cast: Chad Kimball (Huey), Montego Glover (Felicia), Derrick Baskin (Gator), J. Bernard Calloway (Delray), James Monroe Iglehart (Bobby), Michael McGrath (Mr. Simmons) and Cass Morgan (Mama)

Amazon Japan 『新版 魂(ソウル)のゆくえ』by ピーター・バラカン

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